【埼玉、長瀞町】2020年5月《特別休暇43日目》
天神山城趾、朽ち果てたハリボテ天守閣の前からこんにちは。
いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。
先日「金尾山城趾」を歩いた際に、予習する過程で存在を知った「天神山城趾」に行ってきました。
先週から二回程行きかけたのですが、雨が降り始めて断念していたので、三度目の正直ってやつです。
今日も曇り空ですが、何とかお天気がもってくれればいいなと思います。
こんな手書きの縄張り図を作成しているので、早く現地で確かめたいという気持ちが強いのです。
この縄張り図は余湖さんの縄張り図を模写したものです。
余湖さんの本物の縄張り図はこちら⏬
素晴らしいですよね。
そして、同じく素晴らしいのが、masakiさんの縄張り図と解説です。
それはこちら⏬
masakiさんのブログはとても解説が詳しくて、実際に歩いて確かめているのが良く伝わるのです。
縄張り図は何回か真似して描いた余湖さんのを元に書き、masakiさんの解説をそれに書き加える形で、自分なりの地図を作りました。
この地図を持って今日も行ってきます!
☘️5月20日(水)
~ 天神山城趾初訪問で、半分だけ回って逃げ帰るの巻 ~
《登山難易度0.5》
⏫赤い矢印は金尾山城趾です。
長瀞町にある白鳥神社からスタートします。
白鳥神社の由来とお社です。
今日もお邪魔いたします。
怪我などないよう、見守ってください。
よろしくお願いします。
神社と神楽殿の間を通り、神社左手奥から山道に入ります。
裏には小さな祠があり、そこから急坂の始まりです。
つづら折れの道を登ります。
しばらく行くと大きな岩が現れました。
切岸というやつですね。
岩が垂直に削られています。
登山道右手を見ると曲輪のように見えます。
縄張り図には記載がないですが、今立っている所も曲輪、下に見えるのも曲輪だと思います。
「空堀A」に着きました。
手書き縄張り図において、赤くCの形に描いてある土塁の上に乗っています。
ターボが立っているのは「C」の形の描き初めの所です。
下を見ると細長い曲輪が見えます。
とても明瞭に残っていますね。
「空堀A」の上の小郭に乗りました。
「主郭」の一段下の曲輪を歩いて北方向へ行ってみます。
三角形の「小郭」です。
急斜面(切岸)を下ります。
自転車のチューブのような素材のロープが設置されていたので、とても助かりました。
横堀のように見えます。
縄張り図には載ってないのですが、「小郭」と「小郭」の間の小さな堀のように見えました。
更に急坂を下ります。
すると明らかな竪堀が現れました。
ターボが立っている場所は土橋です。
左右の竪堀を見たところです。
横堀の先は切れ落ちています。
更に下ると、
左手に鉄塔が見えてきました。
右手奥はずっと歩きやすそうな尾根が続いているように見えます。
樋口線71号鉄塔のようです。
鉄塔と言えば定番の真下からのアングルを、斜面に足を踏ん張って狙っている私です。
真上を見上げていて、一度クラっときました😅
鉄塔の番号は並んだ鉄塔の数が小さい方(電気が流れてくる方)に掲げられていることが多いそうです。
そして、一般人が登らないようにつけられた柵(ネズミ返し的な)もあります。
脚にはラインマンが登るためのステップがありますね。
そして、「がいし」は、これは5個ついていると数えるのでしょうか?
それとも2列になっているので10個?
まだ「小説鉄塔武蔵野線」が届かないので、その辺のところが良く分かりません。
横に並んでいるので「おんな鉄塔」だということだけ分かります。
そして、送電線が捻れないようにつけられた重りもありますね。
送電鉄塔の部品のあれこれが少しだけ分かるようになりました😁
次の「No.72」は麓にあるようですね。
送電線が町に向かっています。
鉄塔横からは雨乞山と不動山が見えていました。
では来た道を戻ります。
土橋を渡り、
急斜面を登ります。
ロープがあって、ほんと助かりました。
設置してくださった方、ありがとう~!
「主郭」の一段下まで来ました。
現れましたね、ハリボテ偽天守閣。
「主郭」の北の端には「奥社」と彫られた祠がありました。
ハリボテ天守閣がめっちゃ不気味なので、お社に必死で「怪我をしないように」に加え、「幽霊を見ませんように!」とお願いしておきました。
まぁ、ターボも私も霊感ゼロですから大丈夫なのですが😅
これが例のやつです。
観光開発で曲輪を破壊して建てられたという偽天守閣。
そもそも天神山城は中世の山城なのですから、こんな瓦葺きの近世的な城など建っていたはずもないのです。
当時は堀立式で屋根は板葺きだったのですから。
そんな関係無いものを建てた挙げ句、打ち捨てておくとは、、なんと嘆かわしい(涙)
瓦が落下して、地面に沢山落ちていました。
横に何とか人1人通れるスペースがあったので、前に回ってみます。
ターボが床下を覗き込んでいます。
では、わたくしも。
見えたのはこんな悲惨な情景でした。
前に回り込みました。
うひょ~、なかなかに不気味です。
入口の鉄の扉が閉まっていたので、私が引いて開けたところ、下の蝶番が壊れているようで、上の蝶番を支点にグワーンと向こうの壁まで行ってしまいました。
「あっ、あっ、ヤバい、ヤバい💦」となっているところです。
壁に当たりましたが、その振動で瓦が落ちてくることはなかったので良かったです。
中の様子はこちら⏬
床が抜けていて、中に立ち入ることは到底できません。
これはなかなか気持ちが悪い😣
開け放ってしまった扉をターボに閉めてもらいました。
上の蝶番が外れてこちらに鉄の扉が倒れてくるのではないかと、ターボがビビっていました。
無事扉を閉めたので、次に行きましょう。
コンクリートの階段を下ります。
するとその横には当時のものと思われる切岸がありました。
「主郭」は破壊尽くされてるのかと思っていたので、いくらかでも残っていて良かったです。
階段を降りた場所から見えた景色です。
山城時代はもちろんはげ山だったでしょうし、夫が子供の頃はこのハリボテ城も見えていたらしいのですが、その後伸びた木々に隠され、今は麓から城を見ることはできません。
コンクリート製の橋を渡ります。
その下は大きな横堀になっています。
「堀切B」です。
朽ち果てたトイレです。
これはさすがに覗いてみる勇気が無かったです😅
縦に長い「2郭」です。
開発されかつては堀などがあったのですが、埋め立てられているのではないかと、ネットに書いてありました。
「2郭」から下の曲輪を見たところです。
とてもはっきりと残っているではないですか?
下に降りてみましょう。
斜面には古い石垣がありました。
更に下にはL字形の広い曲輪があります。
右手に行ってみると、そこはコンクリート橋が掛かっている横堀でした。
堀の北側にも二段の曲輪があるのですが、藪が深くとても立ち入れる感じではなかったです。
L字形の曲輪に降りてみます。
斜面は大きな岩盤の切岸になっていました。
下の曲輪に立ち、更に下を見ると三連竪堀がありました。
尾根を潰す効果があるのだそうです。
写真では分かりにくいですが、私たちは2本の竪堀しか確認できませんでした。
上の曲輪に登ってみます。
左手は「2郭」でかなりの高度差があります。
竪堀が現れました。
土塁を歩きます。
当時の石垣の名残がありました。
堀には伐採した木の枝などが捨てられていて、くぼんでいるのでゴミ捨て場にされてしまったようです😅
堀は90度曲がり竪堀へと繋がります。
竪堀を上から見下ろしました。
そこから観光開発でつくられた道に乗ります。
「2郭」に戻りたいと思います。
「2郭」の南部です。
展望台がありました。
今はあそこに登っても展望は得られないと思いますが😅
これは「2郭」の南東にある竪堀群のひとつです。
更にもうひとつの竪堀。
かなり埋まっているのか、削られたのか、浅くなっていますが、竪堀の名残だと思います。
そこから北東方向へ進んでみます。
「出郭」に行ってみたいと思っているのですが、明確な道が分かりません。
適当に下るしかありません。
あっちの方に行きたいのよ、と私が指差しています。
ターボもそれに続きます。
ここまで来て「2郭」の方を見ると、尾根になっていました。
こちらから下るのが正解だったのかも?
藪だったので、「2郭」らの下り口が分かりませんでした。
尾根に乗り、下を見るとなんとなく曲輪っぽくなってきました。
ここは多分「出郭」の図の中の「a」なのだと思います。
そして、ここは「a」の南の曲輪です。
更に下って四角い曲輪に乗りました。
それが分かったのは目の前に「堀切b」が現れたからです。
「やった、やった、道は正しかった!ちゃんと出郭に来れたね!」と喜んでいます。
「ほら、あっちに堀が曲がってるもの!これは堀切bだよ!」と興奮していると、左手の谷の方からガサガサという草をかき分け、バキバキと枝を踏む音が聞こえて来ました。
ターボも私も立ち止まっていたので、「誰!?」「誰かいる!?」と叫びます。
返事はありません。
そして音も止みました。
相手も私たちの声に驚いて、こちらの様子を伺っているのでしょうか?
私が少し谷の方を覗いてみて、「おおい!」「私たちここにいるよ!」と叫んでみました。
返事は返って来ません。
これはヤバい。
人間ではないようです。
しかし、確実に人間と同じかそれ以上の体重がある生き物が近くにいます。
「熊かな?」「多分熊だね!」「撤退しよう!」「うん!即撤退だね!」と二人で話し、「2郭」に戻ることにしました。
谷から近い尾根からなるべく離れるように、斜めに斜面を登りました。
私たちが歩いて下った道ではありません。
少しそれよりも下側にある獣道でした。
昨日一日降った雨でしっとりと濡れている落ち葉に等間隔に足跡がついていました。
今日この山にいる人間はターボと私だけなので、なにがしかの獣が今朝歩いた跡のようです。
ずっと二人で「おおい!」「私たち帰るからね~!」「追いかけて来ないでね~!」と言いながら、一刻も早く谷から遠ざかりたい、、その一心でした。
観光用の道まで戻って来ました。
谷とは「2郭」を挟んで反対側なので、ここまで来て少し安心しました。
麓のつぶれた土産物施設です。
そちらへは道があまりの藪で入れなかったので、
左手の湿地に下りました。
ここはかつての駐車場でしょうか?
広くなっています。
本当にこっちでいいのか、不安に思いながら歩いています。
舗装路が見えてきました。
良かった、間違ってなかったです。
観光用の舗装路を下ります。
出口が見えてきました。
橋を渡って車道に出るのですが、その橋の上から見えた沢がとても美しかったので、驚きました。
一枚岩の上を清らかな水が流れていました。
車道に出て振り返って見たところです。
長瀞玉淀公園線に出ると右手に釣り堀、左手にうどん屋さんがありました。
(今はコロナで休業中)
途中「大手桜」がありました。
天神山城の大手門にあった桜なのだそうです。
種類は寄居町の鉢形城趾にあるのと同じ「エドヒガンザクラ」でした。
鉄塔No.72は、私たちが車を停めさせていただいた集会所の横にありました😁
今回はあとちょっとのとろこで、城の本丸ではないけど、今回の探検の本丸である「出郭」を見ずに逃げ帰ってくる結果となりました。
「出郭」は開発の難を逃れ、多くの遺構が色濃く残っていると聞いていたので、歩くことができず、残念でした。
再訪したいと思いますが、再訪するなら熊遭遇の確率が低い真冬のシーズンにしたいと思います。
幽霊屋敷のような廃屋と、熊の気配という、スリリングな2時間でした。
いつも応援いただき、ありがとうございます。