50代からのお気楽山登り

これから山登りを始めようと思う方、ハードな山は無理だけど山歩きを楽しみたいという方に参考にして頂けたらと思います。山行記録と写真、行程図のイラスト、私なりの難易度を載せています。

【群馬、太田】お気楽隊、金山城址を旅する。2021年2月11日(祝)


中世の山城にタイムスリップ!


いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。


建国記念日の今日、お気楽隊メインメンバー(晴れ女隊)の三人は、またまた太田の石井スポーツに買い物に行くことになりました。

お正月に散財して、ちょうど1ヶ月、、また買うんかーーーいっ!て話ですが。

冬物セールのハガキが届いちゃったんですよ(涙)

気になっていたあんなものこんなものが、もしかしたら安くなってるかもしれないじゃないですか!

それと、来週、再来週と、長女・長男とその友人達を連れて雪山に行くことになったので、足りないアイゼンやスパッツを買いたいというのもありまして、、。

まぁ言い訳はそのくらいにして、どうせ太田に出かけるなら、その近くでいい山はないかと探してみたわけです。

すると、ターボが先週ご主人とココアの散歩で訪れた金山城址を紹介してくれました。

偶然イダブルー(ヤマップでは鐘撞さん)もトレランで訪れていて、美味しいラーメン屋さん情報もゲットできました!

これは楽しみいっぱいの一日になりそうですよ!


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(太田市教育委員会発行のガイドブックより)

金山城は、文明元年(1469年)に新田一族の岩松家純によって築城され、下克上によって城主となった由良氏の時代に全盛を迎えます。

上杉謙信や武田勝頼などの有力戦国大名から10数回に及ぶ攻撃を受けますが、金山城は一度と落城することなく、その堅固さを誇りました。

しかし、小田原北条氏の謀略に落ちて支配下となっていた天正18年(1590年)、豊臣秀吉の北条氏征伐により金山城は廃城となりました。

戦国時代の関東七名城のひとつで、日本100名城にも数えられます。


(宝島社『城の攻め方・つくり方』より)

金山は標高239Mで、関東平野北部の太田市中心部に位置します。

太田金山城はその金山の尾根を利用した広大な山城です。

物見台は周囲が見渡せる良好な眺望で、特に北から西にかけて視界が開けていて絶景の関東平野を見ることができます。

本丸の実城(みじょう)を中心に西に西城、北に北城、南に八王子山ノ砦を構えた広大な縄張りを有します。

中でもほぼ全域が石造りとなっている実城は要注目。

大規模に復元された大手虎口と大手通路の石畳や左右にそびえる石垣は、訪れる者を圧倒します。

さらに、実城から西城へ向かう通路は巨大な堀切や竪堀で守られ、要所では石垣を用いて横矢を掛ける工夫を凝らしています。

『関東でこれほどの石垣を堪能できるのは貴重です』


、、、そんな金山城址に向かうべく、自宅を7時20分に出発しました!


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《登山難易度  2》


※ガイダンス館で過ごした時間も含まれます。

🔺🔺🔺

太田・大光院の無料駐車場にやってきました。

この辺りには、太田七福神巡りのコースがあるようですね。

いつか歩いてみてもいいけど、今日は立ち寄りません。

目指すは大光院。


大光院(子育て呑龍さま)の境内です。


隅には立派な鐘楼がありました。

歴史を感じますね。


そして、見事な松!

『臥龍松』と呼ばれる樹齢700年の黒松です。

これは凄い!

ネットで調べると青々とした葉を繁らせている姿が出てきますが、腹巻きをして今は冬の寒さにじっと耐えているように見えます。

横に伸びた枝を支えてもらい、幹はくねくねとたわみながらも太く逞しく、まだあと何百年も生きていくのではと思わせる生命力に溢れています。

見事ですね。


そんな見事な『臥龍松』の前で、お気楽隊は『欽ちゃん走り』に興じる😅

場違いでスミマセン💦



で、『臥龍松』の奥にあったこちらの建物、これが本堂だったらしいです。

ブログ書くためにネットで調べて今知りました💦


この時は本堂は奥の赤い建物だと思い込んでいる私たち。

「本堂に向かう回廊が立派だねぇ」と私が言うと、すかさずターボが「でかいろう?」と。

するとハガレーナが「でたっ!ターボのダジャレ!メモして、メモして~」と。

お気楽隊いつもの光景です。

この人(ターボ)の頭の中、いつか覗いてみたいですよね。

回路が妙な方向に繋がっているのだと思います。


こちらが私たちに本堂と思い込まれている『開山堂』、、だそうです。

何を開山してくれるんでしょうね?

こちらに賽銭入れて、手を合わせちゃいましたよ。


お寺に特に関心がない三人なので、すぐに「うさ影」で遊びたくなります。

この影、少々たれ目でまつげの長いワンコに見えません?

そう思ったらそうとしか見えなくなりました😅


境内の右手から金山城址ガイダンス施設に向かいます。

この分岐を左手に行くと金山城址の尾根に出るものと思われますが、私たちは城址に行く前に、ガイダンス館で予習して行こうと思っています。


可愛い標識のあるお寺の境内に出ました。


金龍寺でした。


七福神の像が可愛らしく並んでいました。

ひとつひとつの表情が面白くて、ちょっと知り合いに似てるような似てないような、、😅

特に恵比寿さまと、大黒天さま。

私の身内にいる気がします😆


階段を下ると左手にとても大きなとちのきがありました。


板根がタノの足のように伸び、ちょっとユーモラスですが、堂々たる佇まいです。


ターボが大きさ比べしてみました。

ターボの足下の根を見てください。

根っこが石の階段を乗り越えてどんどん階段の方へ侵出しているのが分かります。

300年後は階段をコの字にしなくちゃですね!

300年後の人々が木の伐採ではなく、階段修復を選択してくれることを切に祈ります。



沢沿いの道を歩き、金山城址ガイダンス施設にやってきました。

ネットで9時から営業と聞いていましたが、、


どうやらコロナの影響で短縮営業しているみたいですね。

開館時刻の9時半まで15分ほどあったので、辺りを散策することにしました。


階段をあがっていくと、ガイダンス館2階が全面ガラス張りだったので、自分たちの姿を写して時間潰ししました😅


今お気楽隊で流行っている欽ちゃん走り🏃


そしてこちらは、NiziU、ではなくGoziUの縄跳びポーズ😁

最近良くお気楽隊初期メンバーの三人をAKBに例えて表現してきたのですが、みんな本家同様ソロや他のチームでの活動がポツラポツラ入ってくるようになってきたので、そろそろ新ユニット結成しなくちゃだなと思っております。

その名も『GoziU』です。

「50」と「ご自由」を掛けております。

まぁその半分以上のメンバーがほんとは『RokziU』と名乗るべきところですが、「50代からのお気楽山登り 」ということでね😜

なので今後『GoziU』を意識したポーズが頻発するかもしれません。

要するに『NiziU』をパクる気満々だぞ!という決意表明です😅

とりあえずこの縄跳びポーズは、ヤマップで大人気のアキロックポーズに対抗して『オキラックポーズ』と命名しときます😆


そんなことはともかく、開館までまだ時間があります。

施設裏側斜面を登ってみましょう。

東屋がありますよ。

説明板を見ると、どうやらかつての「士(侍)屋敷跡」らしいです。

金山城址へ向かうハイキングルート入口があの奥にあったようですが、今は倒木などで荒れていて通行止になっていました。


士屋敷跡からの眺めです。

見えている屋根はガイダンス館。

じゃあ、そろそろ開館時間なので戻りましょうか、、と歩いていると、前からやって来た男性に「猪に気をつけてね」と話しかけられました。

どうやら金山城址保護の関係者のようです。

この金山には猪が多く、作物や遺構を荒らすので、困っているのだとか。

そういえば「猪注意」の看板が異様に多いですし、東屋には大きな猪ワナが設置されてました。

かつてはあの猪ワナでどかどか猪が捕まり、数百頭駆除できたらしいのですが、ここ数年一頭もワナにかからないのだそうです。

数百頭から数十頭に数は減らせたものの、頭の良い猪だけが生き残ったため、その後の駆除に進展がないのだと嘆いていました。


こんな風にあちこち猪が掘り起こした跡だらけでした。

直径50センチくらいの石は簡単に鼻で持ち上げて転がすらしいです😱

新しいワナを考えても生存競争に勝ち残った頭のいい奴らばかりなのですから、簡単には捕まえられないのだとか。

ターボが「いたちごっこですね」と言うと「私たちは『いのししごっこ』と呼んでるんだよ」と。

なるほど~。

折角発掘整備が行われている城址で、先に遺構を掘りかえされちゃうんじゃ、たまったもんじゃないですね😢

ご苦労お察しいたします💦

そんな皆さんのご努力を知ったのですから、しっかりガイダンス施設で勉強します!("`д´)ゞ


施設の2階にやってきました。

なんと入場無料です!

写真撮影はジオラマのみOKで、資料館はNGだそうです。

ジオラマ撮影ができるのは嬉しい😊




物見台・馬場下通路周辺のジオラマです。

城の中間部に位置し、城の守りの要です。

敵の目線で見てみると、、

①通路が狭く、一人ずつでないと通れない

②石面がゴツゴツしているため走りにくい

③カギの手になっているため先が見通せず、道が途切れているように見えるためスピードを緩めざるを得ない

④横矢がかりから狙われる😱

、、、という侵入者からしたらこんなところ行きたくないよ(涙)殺されに行くようなもんじゃん!(涙)となる、守りの工夫がされています。

後で実際歩いてみるのが楽しみです😁



大手虎口のジオラマです。

大手虎口には、、

①堅牢な城門

②両側の曲輪からの攻撃

③道はカーブし遠くが見通せない

④奥になるほど幅が狭くなり、遠近法でとても長い石段のように見せるトリック!

、、という三重苦四十苦が仕掛けられ、とてもここを突破することは困難です。

私なら門の前で回れ右!して即撤退ですね😅

これは凄い❗

まさに難攻不落の名城です。

現地がまたまた楽しみになってきた~😆


石垣にはこんな見所もあるみたいですよ。

渡良瀬川から持ってきた川原石を間詰めに使用しています。

「化粧間詰め」と呼ばれ、城の「格」や、後北条氏との「同盟の証」だそうです。

隠れミッキー的に探して歩くと楽しそうですね。


では、いざ、出陣です!(笑)

ガイダンス施設でもらったガイドブックをリュックに入れて出発しました。


お、早速現れた!

竪堀ですね。

道と間違えないように、枯れ木が横にしてあるので、竪堀感は乏しいですが😅


よく整備された歩きやすい道です。


お、空が開けました!

ここで、ちょっと新ポーズのお試しを。


青空にスター!!

ターボがネットで見つけた「キッチョム登山隊」がやってたのを早速パクりました😁

最近のお気楽隊は恥ずかしげもなく、人のネタをパクりまくりです😅

初めてやった割にはうまくできた😊

まぁこれ実を言うと、トライスリーくらいでしたけどね😅


中腹に東屋がありました。

でも今日は霞みがちで、ぼんやりした景色です。


もっと上に展望台があるよ!とターボが案内してくれています。

彼女は先週ご主人と来たばかりです。

その時は城の遺構に感動して、あちこち写真を撮ったり、説明を読んだりしていたら、ココアを連れてどんどん進むご主人に呆れられ、「今度親分たちと来ればいいじゃん」と言われたらしいです。

なので、今日は思う存分写真を撮って、皆とその凄さを共感できると張り切っているのです😁


尾根に向け階段を登ります。


「振り返って感動!」

、、わざとらしい😅


「振り返って感動!」

、、、わざとらしいにも程がある😅

視界がクリアならね、まぁまぁ感動するかもですが、今日はうすぼんやりしています。


展望台に到着しました。

この横にはモータープール(駐車場)があり、車でここまでぶいっと来ることもできます。

ターボが先週ご主人と来た時はここの駐車場に車を停めたらしいです。


広々と関東平野を見渡せます。

富士山も見えるらしいのですが、今日は残念ですね。


歩いて来た階段が下に見えました。


しつこくキッチョムパクり。

太陽を真ん中に入れたかったけど、私の肩が痛くてこれ以上腕を挙げられず(涙)

ビミョーな仕上がりに。


星影~🎵


こんな素敵な看板(現在地表示)が点々とありました。

実城方面へ向かいます。


これまた分かりやすい!

素晴らしい城址公園になっているんですね。

ちゃんと遺構を残しつつ、当時の様子を想像しながら歩ける仕掛けがあちこちにあります。


では、城の核心部へ入って行きましょう。

なだらかな尾根を歩きます。


早速往時の想像図を含めた説明板が現れました。

このように要所要所に発掘の様子や構造が分かりやすく示されています。



西矢倉台西堀切にかかる橋です。


西矢倉台下堀切。


こちらが現在の状況です。

枯れ葉もなく、良く整備されていますね。


矢倉台通路です。


広々とした曲輪のようになっていました。

柱の跡もあるようですが、見つけられず。

発掘後、埋め戻されたのかもしれません。


馬場下通路、核心部!!


おおお、なるほど道があそこで途切れているように見えますね!

石畳は今は歩きやすくなっていますが、当時はゴツゴツさせていたのでしょう。


どんな遺構なのか、ワクワク😃💕


おおおお~とコーフン気味のターボ。

ターボの視線の先にあったのは、、


これは凄い!

この金山はほぼ岩でできた山なのだそうです。

岩盤を掘って掘って掘り続け、この巨大な堀切を作ったのです。

重機もない時代にひたすら手作業で。

すごいですねぇ。

そうして切り出した岩を使ってあの(これから見る予定)の石垣を築いたのですね。

崖の上には物見台(今は展望台)がありますね。


ジオラマでのこの場面ですね。

あの上に更に高い櫓がありますよ。

頭上から丸見えの状態で、横矢がかりに狙われる敵陣💦

ボルト並みのスピードで駆け抜けない限り、命はないでしょう。


物見台の方に気を取られていては、背後からこんな風に狙われているのですから!


右の横矢かかりの死角に入っても、左手から狙われます。

私など真っ先に藻屑と消えますよ(涙)

ターボに横矢で撃ち抜かれるの図。


竪堀にかかる木橋を渡ります。

ここは敵がやって来た時には壊され渡れなくしたものと思われます。 

山城において木橋とはそういう役割です。 


馬場通路に乗りました。


西の先に物見台があります。


こちらがジオラマで再現された様子です。


物見台に登ってみましょう。

今は展望台になっています。

火縄銃の弾丸や釘、柱の跡などが発掘されたと書いてありますね。

上杉謙信は物見台から死角となる場所に陣を構えたんですね。

何度も攻め込んでいますから、失敗から学んだってことなんでしょう。


展望台に立ったターボと私を下の通路からハガレーナが撮ってくれました。

あの更に7~8mは高い場所から見張っていたのでしょうから、下からの矢も届きにくいでしょうし、想像すると怖い物見櫓ですね。




展望はもちろん抜群です。

特に北と西の眺めが素晴らしい!

西の武田氏、北の上杉氏の軍勢も手に取るようにわかったことでしょう。

死角になる藤阿久というのはどっち方面なんでしょうね。

気になったらすぐに調べる!(笑)


なるほど、金山城の南西に位置した場所ですね。

確かにこちら方面はあの物見台からは一切見えなかったです。


では馬場に行ってみます。


あの広場が馬場ですね。


横に大堀切がありました。


馬場から大堀切を覗き込んだところ。

真ん中に石垣が見えます。

切掘の中に更に障害物が造られていたのでしょうから?



馬場曲輪の案内です。

何度も建て替えられた建物跡や、石積排水路、柵など多く遺構が見つかったそうです。



私たちは排水路に興味津々。



更に接近中!


見事な排水路。

もちろんこれは復元されたものですが、当時も同じ様子だったものと思われます。


馬場の隣にあったのは、「月ノ池」です。

最初に造られた当初は一段の石垣に囲まれた池だったのですが、それでは貯水量が足りず洪水に耐えられないため二段に変更した形跡があると書いてあります。

大量の石垣の欠片を投げ込まれていたとありますから、廃城の際に敵に水を使わせないために井戸潰しをしたってことなんでしょうね。


上の石垣は復元したものですが、一段目の石垣は当時のものを使用しているそうです。

山の稜線にあるとは思えない、とても大きな規模の溜池です。


大切掘の下方に造られていました。


そして、ついに最大の見所・大手虎口へ!


この城最大の防御機能を備え、城の格を決める多くの工夫がなされています。

谷の地形をうまく利用し、石の通路の両側に段状の平地を設け、横矢がかりできるようにしているだけでなく、先を見通せなくした構造や遠近法を利用したトリックなど「難攻不落」の城として名を馳せた特徴を備えています。


全体の様子はこちら。

この角度を実際に目にすることはできないのですが。


大手門の横にはこの石垣。


渡良瀬川から採取した「化粧間詰め」です。

隠れミッキーより簡単に見つけられた😁

当たり前ですよね。

格を誇示するためなのですから、一番目立つところに使われています。


このジオラマの「大手虎口模型」という札がある場所に、隠れミッキーはおりました。


さぁ、石垣の回廊に入ってみましょう。


少しカーブした道。

この幅が真ん中辺りで狭く造られていることは前述しました。

遠近法の効果で、確かに奥行きがあるように見えますね。

そして、見事な排水路。

これ、中世の山城ですよ!

驚きです。


同じ目線で見たジオラマ。

う~ん、楽しい😁


ちょっとこんなことして遊んでみました。

不届き者はすぐに撃ち抜かれますよ~😆

撃ち抜かれなくても、私はこの「アキロックポーズ」で腰と肩を痛めました(涙)

左肩あがらないんだから、無理させんといて😢


階段横の石垣の一番下の石(根石)が飛び出していますね。

これが金山城の特徴なのだそうですよ。

資料館で見ていたので、発見できて嬉しい😁


階段を登って北側の曲輪に乗ります。


大手虎口・北下段曲輪の説明です。

谷の地形を利用して造られた大手虎口のため、大雨の時に水が貯まらないよう、曲輪に緩やかな傾斜をつけたり、石組みの排水路を造ったりしてあるようです。



北側曲輪から南方向を見たところです。


南側の曲輪から眺めた北側全景です。

段々畑のようになっていますね。

北側斜面の一番上には民家があるようです。


今私がいるのは、このジオラマの箇所ですね。


そのひとつ上の段にはこんな説明が。

ここには井戸やかまどがあり、建物も多くたち、兵たちの生活の気配が感じられるとあります。


こにらは井戸の跡。


こちらは復元されたかまどです。

二人がニヤニヤしながら私を呼ぶので何かと思ったら、「姉さん、かまどの火をおこして!」と。

おかみさんの役は何故かいつも私が担います。

手拭い持って来れば良かった😅


次に現れたのは「日ノ池」です。


15×16.5mの円形の池です。

多くの石積みが発掘され、できるだけ当時の石積みを利用して往時を再現しているそうです。

斜面からの流水や湧水を貯め、飲料水に使用しただけでなく、雨乞いや戦勝祈願などの神事にも使われた神聖な場所だったようです。

山の上にあることを考えたら、とても貴重で、この金山城の象徴のような場所であったとも言えます。


向こうにある民家と比べてみても、いかに巨大な池であるかが分かりますね。


最後、南曲輪にやってきました。

ここには金山城の縄張り図模型がありたした。




ここで私たちは大失敗をしでかします。


私たちが今立っている場所(そしてこの後この場を離れ下山してしまうのですから、最後に立ち寄った場所ということになるわけですが)は、スイカの場所。

この時私たちは実城(本丸)がバナナの場所だと勘違いしており、民家があるので立ち入れないのだと思い込んでいたのです。

でも実際の本丸はりんごの場所だったのです~😱

なんてこったい!!

帰宅してブログをまとめるために資料をみていて気づくというアホさ加減💦


ガイダンス施設でもらって後生大事にリュックにしまっていたガイドブックに「金山城の歴史を見守ってきた樹齢800年の大ケヤキ」という写真を見つけ、えええ、こんなのがあったの!?

立ち寄るの忘れたーーーっ!

これ、どこにあったわけ!?

ちっとも気がつかなかったぞ!と思い地図を見ると、、



金山の大ケヤキは、あー、私たちが行ってない場所だーーっ!

そんでもって、そんでもって、その先に実城(本丸)の表示があるじゃないのよ!

しかも、本丸残存石垣に赤字で「お見逃しなく!」とか書いてあるしーーーっ!

なんてこったい!!

あちゃー、何で私たちは実城に立ち寄らなかったのだろう?

理由はいくつかありますね。

①ターボが先週訪れているので、彼女の先導に委ねていて、私は頭を使ってなかった。

②大手虎口の段状曲輪の一番上に民家が見え、かつ、城址の一部は私有地のため立入禁止という情報があったので、本丸

には立ち入れないのかと勘違いした。

③現地にはそれぞれの場所に分かりやすい説明板があったため、折角ガイダンス施設でもらった地図をリュックの中にしまっていて取り出すことがなかった。

、、、、なんてこと、なんてこと、私たちはなんてバカなんだろう。

アホすぎますよね(涙)

帰宅してそのことに気づいた私が二人にラインすると、特にターボが「ばかばかばかばかっ!」と自分自身を罵っておりました。

三人揃ってだ~れも気がつかないんですから、呆れてものが言えません😅

ターボは「本丸に行かないなんて、『本丸転倒』だわ」と言っておりました。

あなた、この城に来たの2回目だったんだよね?😒

本丸転倒し過ぎや!(笑)

私たちが豊臣の軍勢だったら、あのかまど辺りを陣取ってら、「取ったど~ーーっ!」と勝どきを上げ、浮かれてるところを後ろからバッサリやられておしまいだわ💦


実城も樹齢800年大ケヤキも見ることなく、アホみたいにキッチョムパクりに興じるGoziUの面々💦

あの時の自分に、あんたらそんなことやっとる場合じゃないんよ!と言ってやりたいですよ。

、、、ということで、一気にやる気を失ってしまいました。

この後西の尾根を歩き、浅間神社経由で下山し、呑龍さまの公園で遊んだのでした。

その様子は省略!!

これだけは書いておこう。


帰りにラーメン処「うしおととり」に立ち寄り、


醤油ラーメンをいただきました。

イダブルーのオススメです。

ちょっと濃いめの味付けですが、美味しかったです。

その後またまた石井スポーツで散財し、マックでお茶して帰路につきました。

今日も一日よく遊びました😊


熊谷の町を走っていると、大きくカーブする飛行機雲が!


進めど進めど、ずーっと消えない。


花園まで帰って来ても、まだ消えずに残っていました。

ネットニュースに載ったみたいですね。

ちょっと珍しい光景でした。


それにしても、実城と大ケヤキが悔やまれます。

再訪せねば!


最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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