【埼玉、秩父】秩父札所巡り《後編》武の鼻橋を渡って町中散歩しました。2020年2月16日(日)
秩父ハープ橋の下からこんにちは!(ハガレーナのシータ写真です)
いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます😊
童子堂を後にし、一旦大きな車道に出てハープ橋の手前の交差点を左に折れ、私たちは武ノ鼻橋を目指しました。
途中自転車をおした地元のおじいちゃんに「音楽堂行くならそっちじゃないよ!」と話しかけられ、「いや、今日は音楽堂は諦めて秩父の町の方へ行くんです」と言うと、「だったらハープ橋を渡った方がいいよ。ハープ橋はこの先だよ」と重ねてアドバイスくださいました。
「いや、私たちは武ノ鼻橋を渡りたいんです」と言うと、よっぽど変わり者と思われたらしく「ただの低い所にある橋だよ。まぁ、行きたいなら、、」と渋々引き下がってくれました😅
夫がこの武ノ鼻橋を勧めたのですが、後から聞くとハープ橋の下に古くからの民家があってそれが里山の雰囲気で良い撮影スポットだったらしいのです。
そんなこととは露知らず、私たちは上にかかるハープ橋の写真ばかり撮っておりました😣
この写真の右隅に屋根の一部が写っている家屋が、夫のお気に入りだったみたいです。
これも後日わかったことですが、夫の言う「やなみ」とはそんな古くからの農家の母屋(昔カイコを育てていた二階屋)と蔵と倉庫と庭先ののどかな雰囲気のことだったらしいのです。
初めからそう表現してくれれば私の頭でも理解できたのに!
ただ「秩父はやなみが美しいんだよ」だけでは、もうてっきり「屋並み(屋波?)」だとおもって、倉敷美観地区や、川越や津和野の町みたく、白い土塀や旧家の屋根が重なって見える景色のことだと思うじゃないですか?
そう言うと、「違う、違う、秩父の町にはもうそんな旧家はそこまで残ってないよ。里山の古い農家さんのたたずまいのことだよ」とのこと。
例えば、、(夫のフェイスブックより)
こんな棚田とか、、
こんな農家さんとか、、
こんな里山の風景とか、、。
そうだったんか~い!
夫曰く「やはりみほちゃんにはわからないか、、。やっぱり一緒に歩かないとわかんないよな」と。
いや、私だってそんな里山の景観を楽しむ美的センスを多少は持ち合わせておりますよ(と、自分では思っている)。
でも「やなみ」って言うからさぁ。
てっきり町屋の風景のことかと思うじゃんか!(さっきも言ったので二度目ですね😅)
どうも誤解されているようで納得いかないのですが、、まぁ、いっか。
、、とにかくこのときはなぜ夫がこの武ノ鼻橋を渡ることを勧めたのか知らないまま、ひたすら上にかかるハープ橋の写真を撮っておりました😅
夫の見せたかった「やなみ」はこちら⬇️(夫のフェイスブックより)
なるほどね。
そんな視点の里山歩きもいいですね。
そんな夫の意図には気がつかず私たちがひたすら撮影しまくっていた「ハープ橋」の正式名称は秩父公園橋です。
主塔から斜めに張ったケーブルを全部繋ぐと30キロにもなるそうです。
平成5年、「土木学会田中賞」を受賞している美しい橋です。
美の山から雲海を眺める時にもこのハープ橋のケーブルは雲海の上にのぞいていて、幻想的らしいです。
「ただの低い橋」と地元のおじいちゃんに表現された「武ノ鼻橋」ができる前はここに「武之鼻の渡し」があったそうです。
船頭は二畳ほどの小屋にいて、いろりでお茶を飲んだりタバコを吸ったりしていたのだとか。
昔を偲んで、橋からあえて「ずる馬坂」という急な坂を登って行きました。
まぁ、今はただの急な坂ってだけで、特段美しい景観という訳ではなかったので写真はありません。
むしろダンプが横をゴーゴー通ってなんとなく白っぽく汚れた道になっていました(涙)
確かに今となっては「ただの低い橋」でした😅
こんなことならおじいちゃんのオススメ通りハープ橋を渡った方が景色が良かっただろうなと思いました。
夫の話をちゃんと聞いているようでいて(彼の言葉が足りないこともありますが)、話を自分の都合の良いように解釈して聞いているのでこういう中途半端な結末を迎えます😣
少し反省(ToT)
坂の上にはかつて秩父蚕糸だった跡地にベルクができています。
ベルクでトイレをお借りして再び歩き出しました。
このときは「やなみ」のことを「町の旧家が並んでいる」と思い込んでいた私たち。
おっ、やっとそれっぽい旧家が現れた!と思っています。
夫の話す秩父の魅力を味わいたいと思い、こんな旧家がずらり居並ぶ場所はどこなのか、どっちに行ったらいいのか?しかもなんとなく車を停めた宗福寺方面へ向かいつつ、という条件付きで、、。
う~ん、全くわからん😵🌀
ヤマップ片手にテキトーに歩いてみます。
すると偶然札所16番の西光寺(さいこうじ)に行き当たりました。
「やなみ」探検隊だった私たちですが、今日の流れから行くと札所があっちゃぁ立ち寄らずにおれないですよね。
ノーケアだった札所16番の境内に入ると「酒樽大黒天」がありました。
大正時代に使われていた酒樽に大黒さまを祀ると、招福のご利益があり、以来商売繁殖を祈願して名刺をお供えする風習になったのだとか。
早速私たちも「山の名刺」(仕事の名刺は持ち歩いてなかった!残念!)を酒樽に差し込んでおきました。
その後関東八十八箇所巡りがいっぺんにできるという有難い空間へ。
(写真撮影は遠慮しました)
88体の聖観音や十一面観音、千手観音などを見てまわりました。
その後町屋を探しながら、なんとなく足は宗福寺の方向へ。
するとまたまた札所発見!です。
札所17番定林寺。
ここはどうやらアニメの聖地のようです。
絵馬を見ると長崎からやっと来れました!と書いてあるものもあり、驚きました。
このお寺の梵鐘には、西国、坂東、秩父の百観音霊場のご本尊と御詠歌が浮き彫りされているそうです。
言い伝えとして、、
江戸時代、ある夫婦が日本百観音巡りに出かけ?定林寺で妻が男児を出産。巡礼に足手まといなので、地に捨てて残りの83ヵ所を巡った。
5年ぶりに家へ戻ると、土間に5歳ぐらいの子が立っていた。
夫婦は悪行を悔い改め鐘を鋳造して寺に納めた。
なかなかに怖いお話ですよね😱
その後旧家はないかあちこち眺めながら、普通の住宅街を歩いて駐車場まで戻りました。
予め勉強していた今宮神社や秩父発祥の地ともいえる中村の大桑など立ち寄りたいと思っていた場所は、もう少し秩父駅に近い方だったことが後でわかりました。
知識がない中で歩いてみた秩父の町でした。
秩父の人々の地元愛の強さの秘密が垣間見えた気がします。
いつの日か(麗らかな春の日か紅葉シーズンにでも)里山歩きで再訪したいと思いました。
結果約10キロのハイキングでした。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!


















