50代からのお気楽山登り

これから山登りを始めようと思う方、ハードな山は無理だけど山歩きを楽しみたいという方に参考にして頂けたらと思います。山行記録と写真、行程図のイラスト、私なりの難易度を載せています。

【埼玉、秩父】秩父札所巡り《前編》19番、20番、21番、22番。2020年2月16日(日)

秩父札所巡り、20番岩ノ上堂からこんにちは!

(ハガレーナのシータカメラにて)


いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます😊


いこいの村美の山宿泊を絡めた土日で秩父を遊び倒そう!という企画の二日目です。

秩父に詳しい勝ドンと私の夫に相談すると、勝ドンは大野原駅から札所19番~25番までの札所巡りをしながら影森駅まで歩くハイキングコースと、28番橋立堂の鍾乳洞を組み込んだ琴平コースの2つを紹介してくれました。

ハガレーナが以前から鍾乳洞に行ってみたいと言っていたので鍾乳洞を組み込んだコースにしようかと思いましたが、ネットで調べると冬季閉鎖中でした😢

私の夫に聞くと「札所巡りもいいけど、札所はちょっと町はずれにあるだろ?秩父は古い町並みが魅力なんだよ。屋並みがすごくきれいだよ。だから町中を歩いた方がいい。ただこの日は秩父神社でウイスキー祭りをやってるから混んでると思うけどね」とのアドバイスです。

なるほど、札所巡りもいいけど、それに秩父の屋並みを加えると更にいいってことか!

⏩⏩秩父札所巡り(江戸巡礼古道コース)とは、江戸時代に秩父札所の巡礼が庶民の間で盛んになった頃の道で、野面を横切り、谷を渡る文字通りの江戸巡礼道である。当時置かれた巡礼石が今も札所への道しるべとなっている。⏪⏪

(ガイドブックより)

⏩⏩秩父札所34ヵ所観音霊場は、西国33ヵ所、坂東33ヵ所と共に、日本百番観音に数えられています。(中略)

秩父巡礼は、1番四萬部寺から34番水潜寺まで静寂な山村と美しい自然の風光を背景に一巡約100キロ程あります。この間、ある時は谷をわたり、山路をたどり、野づらを横切っての巡礼は秩父札所ならではのものでしょう。⏪⏪

(パンフレットより)

荒川には7つ橋があるそうです。

北から秩父橋、武の鼻橋、秩父公園橋(ハープ橋)、佐久良橋、巴川橋、柳大橋、久那橋です。

また秩父市街に沿って南北に走る秩父鉄道の駅が4つあります。

大野原、秩父、御花畑、影森、浦山口です。

それらを組み合わせてルートを考えると良いようです。

さて、その両方を楽しめるコースはどうすれば良いかとホテルの朝食前に地図やガイドブックとにらめっこです。

うーん、にわか仕込みでバラバラ情報をまとめるのって難しい~(涙)

色んなページの地図が繋がらないので、位置関係が良くわからないし😅

札所巡りだけなら簡単なんだけど、町歩きを絡めようと思ったらどうすればいいのかちんぷんかんぷんです😅

しゃあない、とりあえず札所19番龍石寺からスタートし、岩ノ上堂、観音寺と歩き、山の上にある音楽寺に行けたら行こう。

無理ならそのまま童子堂に行って武の鼻橋を渡って町中に入り、古い町並みを歩きながら(そのルートがとても不安。ノープランです)車を停めさせてもらう宗福寺に戻る、、というルートにしました。

この地図には町中の情報が少ない💦

歩いてみた今ならわかるのですが、実はこの町中にも札所がいくつもありました。

そして、町の屋並みが美しい場所がどこだか、夫に詳しく聞いてこの地図に印をつけてもらえば良かったと後悔しましたが、ま、後の祭りですね(涙)

この時は町に入ればどこもかしこも旧家だらけなのかと思っておりましたので、、😅

スタートは夫の実家のお墓がある宗福寺の駐車場からです。(住職さんに許可をいただきました)

10時37分に歩き始めました。

まず目指すのは札所19番の龍石寺(りゅうせきじ)です。

宗福寺が観音堂の管理と納経所になっているそうです。

龍石寺は一枚岩盤の上に建てられています。

本尊は千手観音像だそうです。

三途婆(さんとば)のお堂もあります。

三途の川で罪人から身ぐるみを剥ぐ奪衣婆(だつえば)を奉ってあります。

ちょっと怖い雰囲気で写真も恐々撮りました。

境内を出るとすぐに20番への道しるべがありました。

その道に沿って寺の裏に回ると、大きな岩盤の上にお寺が建てられていることが良く分かりました。

次に向かうのは川向こうの岩ノ上堂です。

旧秩父橋を渡ります。

私たちが到着する前に聖地巡礼と思われるアニメファンっぽい衣装の若い女性が記念撮影してました。

旧秩父橋(二代目の秩父橋)は、昭和6年5月に竣工した鉄筋コンクリート造りの三連アーチ橋です。

そんな美しい橋の上でハガレーナのシータ撮影です。

初代秩父橋は、明治18年に竣工した長さ142.12㍍の我が国を代表する洋式木橋(木鉄混合トラス)だったそうです。

川を覗くと初代秩父橋の土台部分が見えます。

縦7.3㍍、横6.4㍍、高さ9㍍のものが二基、建設当時の姿のまま川の中に残っています。

川上に向かって船の舳先のようになっていますね。

写真奥に見えるのは新秩父橋です。

旧秩父橋、初代秩父橋(橋脚だけですが)、新秩父橋と、3代の橋が並んでいる珍しい光景ですね。

そんな光景をシータカメラにて。

旧秩父橋は、現在自転車、歩行者用の橋となっています。

新秩父橋は昭和60年に完成しました。

初代秩父橋から100年目だったそうです。

12本のケーブルで支えられた新秩父橋は、埼玉県最初の「ケーブル斜張橋」として、土木学会から田中賞を受けたのだとか。

橋のたもとの小さな公園に初代秩父橋と新秩父橋の工法と田中賞の碑がありました。

本来ならこの小さな公園から岩ノ上堂に抜ける近道があるようなのですが、台風被害の影響でしょうか?

近道が通行止めになっていました。

仕方なく迂回路に向かいます。

遠回りして岩ノ上堂に到着です。

札所20番岩ノ上堂です。

岩上にたつ元禄16年(1703年)の観音堂。

堂内は広い土間で千疋猿が吊り下がっています。

天井から見事な千疋猿が!

摩尼車(まにぐるま)があったので、それぞれ回してみました。

私は過去に苦い経験があるので回し過ぎないように慎重に、、😅

ガイドブックによるとお乳の出が良くなる乳水場が崖の下にあるようなのですが、台風の影響で道が崩壊したからか、フェンスがあって立ち入りできないようになっていました。

※※※乳水場⏩乳の出ない母親が入水しようとしたとき「崖下の清水を飲め」と天の声あり。そのとおりにすると、乳がほとばしり出たという言い伝え。※※※

次に向かったのは、札所21番観音寺です。

通称「矢の堂」。

『元は長尾根に鎮座していたが、大正12年、小学校の火災で焼失。幸い本尊の聖観音像は運び出され、仮堂に安置されたまま現在に至っている』とガイドブックに書いてありました。

以後は「火伏観音」の名がついたそうで。

※※※矢の堂⏩八幡様が悪神退治に射た矢が当地へ落ちる。日本武尊や平将門が戦勝祈願の矢を納めたとの言い伝え。※※※

『矢の堂』由来の絵が奉られていました。

その後童子堂を目指して歩いているときに、お昼近くになり、たまたま通りかかったお店でお昼休憩することにしました。

「Nage(ナージェ)」です。

ハガレーナはオムレツカレー、ターボと私は菜の花のワサビ風味パスタをいただきました。

デザートはリンゴのタルトと、イチゴのグラタンです。

次に目指したのは札所22番童子堂でした。

栄福寺童子堂(わらべどう)です。

寺域は中世に築城された永田城址で、北、東、西の三方は深い自然の堀に囲まれているそうです。

仁王門は茅葺き屋根。

童顔の仁王像は梅沢冨士太郎が寄進したそうです。

素人のため高篠村のお寺に通って研究し、穏やかな顔の仁王像を彫り上げたとガイドブックに。

「優しい仁王様」と話題になったそうですが、この素人感は笑えるほどです。

みんなで顔真似をして、10秒タイマーの残り一秒で、みんなの顔が可笑しすぎて吹き出してしまったみっともない瞬間にパシャリ(涙)

とげぬき地蔵があったので、私は「膝が良くなりますように。ケガしませんように」と膝の部分をたわしで擦ってみました。

すると、二人は迷わず、「私たちは頭だな」と言いながらスリスリ。

すると「おっ、ミッキーみたい」となり、そのままたわしは耳の位置に、、、。

可愛いけど、おふざけが過ぎますね。

スミマセン😣

彫刻が見事なお寺です。

立派な不動明王の像があったので、それを眺めていると、ターボに「姉さん同じ顔してみて!」と言われ、、

なかなか同じ顔にならないので「口を閉じて!」「口をへの字にして!」などと注文をつけられ必死で顔真似しているところです(涙)

あぁ、まだ私たちは4つの札所しか回ってないです。

グズグズと何をしているのでしょう、私たちの札所巡りも、このブログも、、💦

早く書いてしまいたいのですが、すぐに眠くなってしまって、、。

この続きは【後編】にします!

最後までよろしくお願いします🙇⤵️

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