50代からのお気楽山登り

これから山登りを始めようと思う方、ハードな山は無理だけど山歩きを楽しみたいという方に参考にして頂けたらと思います。山行記録と写真、行程図のイラスト、私なりの難易度を載せています。

【群馬、安中】「火曜日山の会」でお出かけ。碓氷峠アプトの道を散策し、コロボックリでお土産探しの巻。2019年4月30日(火)

《登山難易度 2》

碓氷峠アプトの道の「めがね橋」からこんにちは😃


今日は火曜日しかお休みがないウォーリーの為に結成した、「火曜日山の会」でお出かけです。

火曜日が祝日と重なることがほぼないので、日ごろ私たちが火曜日に山に行くことはまれで、ウォーリーはなかなか山に行く機会がなく、寂しい思いをしていました。

今回天皇退位の儀式のため、ゴールデンウィークが10連休となり、火曜日が国民の祝日となったため、ウォーリーを山に連れていく大チャンスです。

今年限りの火曜日祝日、絶対に山に行こうと、計画を立てていたのでした。

本当は根子岳から四阿山の「たけさんルート」を巡る予定でしたが、今日はあいにくの雨模様です。

普通なら他の日に変更するところですが、何しろウォーリーは今日しか出掛けられませんから、どこか雨でも楽しめそうな所を探さなくてはいけません。

で、色々考えて、出てきたアイデアは、碓氷峠アプトの道でした。

アプトの道ならトンネルだからあまり濡れないし、わずかな登りはあるもののほぼ平らな道ですから傘をさしても歩けるし、展望を楽しむっていうのでもないから雨の日のハイキングにいいかも!と思ったのです。

私は過去にターボと二人で、そして家族で、それから大学時代の友人と、3回も訪れています。

ターボと歩いた時の写真が見つからないのですが(当時はまだブログを始めていませんでしたし)、家族と行った写真は見つかりました。

子供たちと義姉(当ブログでは2号として登場)です。

このときも雨が降ったみたいですね。

長女が傘を持っています。

何年前なのかなぁ。

私が病気をして薬(ステロイド)の副作用でムーンフェイスになり目が飛び出ていますから、多分3年前ですね。

この頃はよっぽどこのアプトの道にはまっていたのか、同じ年に連続で訪れているようです。

3回も行けばもう十分という感じですからしばらく忘れていましたが、雨でも行けるところはどこかと頭を悩ませているうちに、お、そうだ、アプトの道!と思い出しました。

なので、今回は実に4回目になります。

どこの山より再訪率が高いという(笑)


横川駅鉄道文化むらに着いたのは8時16分でした。

鉄道文化むらはまだ開いてなかったので、一旦釜めしの「おぎのやドライブイン」に移動しトイレをお借りしてから、再びJR横川駅のバス停前駐車場に戻ってきました。

後からいただいた地図を見ると、JR横川駅にトイレがあったみたいですね。

わざわざ車で移動しなくても良かったんだと今気がつきました(涙)

何しろ雨はジャンジャカ降っていましたから、色々偵察に行くことも億劫で、隣が横川駅であることも気がついてませんでしたよ(涙)

軽井沢行きのバス停に屋根があったので、カッパを着たり靴を履き替えたりするのに利用させて頂きました。

準備完了~🎵

今日のメンバーはターボ、姫、ウォーリーと私です。

8時53分、歩き始めました。

トロッコで「峠の湯」まで行くことも考えましたが、切符売り場のシャッターが閉まっていて、前で鉄道マニアチックなお兄さん二人が開店を待っていましたので、しばらくトロッコは動き出さなそうだと思い(運行時間を見に行くのも億劫で)、諦めました。

「帰り(峠の湯~鉄道文化むら)はトロッコに乗って帰ろうね。そしたら2.6キロ歩かなくて済むから」と話しながらスタートです。

こういうの、何て言うんですかね?

顔出し看板(?)があると、ウォーリーはすぐに「撮って、撮って~🎵」と走って行き、嬉しげに顔を出します。

それに付き合わされるターボ(笑)

桜並木に沿って、まっすぐなレールが敷かれています。

2週間前なら見事な桜を見れたことでしょう。

傘を持ってきましたが、結局じゃまっけかなと思って、カッパオンリーで歩いています。

上信越自動車道の橋の下をくぐります。

旧丸山変電所が見えてきました。

吉永小百合さんのCMで一躍有名になったスポットですね。

9時24分、旧丸山変電所に到着です。

出発から約30分でした。

こちらの建物は明治45年に造られたそうです。

機械室と変圧器、蓄電池などがあったのだとか。

煉瓦造り最盛期の作品だそうです。

煉瓦造りというのは、木造と違って朽ち果てないのですね。

往時を忍ばせる独特の雰囲気があります。

中を覗いてみました。

ここにずらっと蓄電池が並んでいた所を想像します。

年に一回、見学会も行われていると書いてありました。

ここまで歩いて来て暑くなったので、屋根の所で衣服調整しました。

丸山変電所の前にはトロッコ列車の駅があります。

5分ほど辺りをうろうろしてから再び歩き出しました。

桜の並木から紅葉の並木に。

遊歩道に沿って紅葉が並んでいます。

「峠の湯」が見えてきました。

9時50分、トロッコ列車「シェルパくん」乗り場に到着です。

ここまでトロッコ列車が側を通らないかなぁと何度も振り返りながら歩いてきましたが、時刻表を見ると、、

最初の列車の到着は10時40分のようですから、まだまだでしたね。

ここで10分程トイレ休憩し、10時ちょうどに出発です。

ウォーリーは新調したポンチョ型のカッパと下はゴルフ用のカッパを身につけています。

ゴルフ用のカッパはポケットがずっと下の方まであるらしく(?)それを忘れて度々ポケットに携帯を入れると膝の辺りまでスルッと携帯が落ちてしまうのだそうです。

その度に、「あ、またやっちゃった!」と言いながらカッパを外からモゾモゾやって携帯を上まで手繰りあげていました。

それにしてもこのカッパ、ド派手ですよね😁

色んな国の名前がついたシリーズらしく、これは「ハワイ」だったのだそうです。

私には「ケシの花」に見えるんですが、ハワイっていう名前なのだとしたら何の花なんでしょうね。

ハイビスカスには見えないのだけど。

いつも気になるこのお店の看板。

いつか寄ってこの押しの強い「ソースかつ丼」を食べてみたいと思うのですが、車道まで上がってみたことはありません。

北原白秋の歌碑がありました。

直筆だそうです。

白秋が39歳の時、信濃を訪れた帰りにこの碓氷峠で「碓氷の春」として詠んだ歌だそうです。

「うすいねの 南おもてとなりにけり

下りつつ思ふ 春のふかきを」

「碓氷の春」という題名がまずいいですよね。

晴れていれば私たちももっと「碓氷の春」を満喫できたのだと思います。

はい、みよんさんお待ちかね、今日のターボのダジャレ一発目ですよ。

「白秋に拍手~👏」だそうです。

「うすいだけに字が薄いわ」とも言ってました。

みな苦笑いしか出ないです。

先に進みます。

本日初のトンネルです。

この辺りで姫が一度足を止め、振り返って「私、怖い話を聞いたんだけど、、」と怖い顔で話し始めました。

するとウォーリーが「やめて!話さないで!💢」と猛烈な勢いでストップを掛けました。

「だよね。また後にする」と言っています。

やだ、気になるじゃん。

第一トンネル内部です。

白いまるいものはオーブではありませんからご安心ください。

雨の滴💧です。

トンネルを額縁にすると、外の緑がより鮮やかに見える気がします。

振り返ると、旧中山道の標識があります。

後ほどカフェの女主人に聞いたところによると、映画「サムライマラソン」の舞台となった場所だそうです。

実際のロケはここでは行われてないらしいですが。

ルートにはこのアプトの道の歴史が綴られています。

ターボとウォーリーはおしゃべりしながら通り過ぎるのですが、案外(?)姫は勉強熱心な方らしく、全ての説明をちゃんと立ち止まって読み込んでいました。

私はというと、写真だけ撮っておいて、「今」読みながら勉強しています(笑)

明治政府が富国強兵のため、外貨を獲得しようと生糸や絹織物を輸出したそうです。

この碓氷線(信越本線)は、その絹織物などを横浜に運ぶルートとして活躍したのだとか。

碓氷線は1万4~5千人の職人が全国から集められ、昼夜を問わず工事が行われ、一年6ヶ月で完成させたらしいです。

厳しい上下関係があったとか、わざわざ明記するんですから、怒号が飛び交っていたのでしょうか。

過酷な労働条件を想像するだけで恐ろしい😱

2号トンネルです。

雨はずーっと降り続いています。

前方が少し開けた感じですね。

10時22分、碓氷湖に着きました。

峠の湯から22分。

峠の湯からめがね橋までの中間点です。

お、この湖畔にも公衆トイレがあるようですね。

緊急時には利用しましょう。

私のお腹はしょっちゅう緊急事態に陥るので、トイレ情報はとても大事なのですよ。

碓氷湖です。

かつてターボと湖畔を歩いた記憶が甦ります。

坂本ダム(碓氷湖)は元々は砂防ダムとして造られたのですね。

現在は不特定利水ダムとして活用されていると書いてあります。

秋には紅葉が素晴らしいらしいです。

車でも立ち寄れるので、人気のようで、沢山車が停まっていました。

もう3回立ち寄っている、アプトの道沿い唯一のカフェです。

まだ閉まっているようですね。

見ると開店は10時30分。

この時10時28分でしたから、もう少ししたら開くのだと思います。

雨だからお休みとかじゃなければいいな。

ウォーリーが「ベイクドチーズケーキ!」と叫んでいました。

どうやら甘いものに目がないようで、帰りに絶対食べる!と宣言していました。

「ベイクドチーズケーキ」を想像すると、なんだかお腹が空いてきたので、「中尾小屋」で休憩することにしました。

時刻は10時半です。

おにぎりと桃のお饅頭を食べました。

ウォーリーは私が最近はまっているセブンの「いかのり天」をバリボリ。

「これ、止まんなくなるよね~❗」と言っておりました。

10時41分再び歩き始めます。

道が真っ直ぐで、トンネルを第3、第4、第5と3つ見通せる、私イチオシの場所。

いいカメラがあれば、もっとキレイに撮影できるのだと思うのですが、1600画素ではこれが限界(涙)

でも肉眼だととにかく素敵なのです。

水滴が邪魔ですね。

スミマセン💦

私は後ろから見ていてウォーリーが行商のおばさんに見えるのですが、みんなはランドセル背負った小学生みたいと言っています。

「小学生とおばさん、どっちよ!」とウォーリーが笑っていました。

場面は新緑の美しさに目を奪われているところです。

↑電気機関車の説明です。

これは読んでもちんぷんかんぷんでした。

万が一私の読者に鉄道マニアさんがいたら、参考になさってください。

これは興味深い。

トンネルなどに使われている煉瓦は1600万個(うちめがね橋は202万個)で、それぞれのトンネルにより携わった会社(職人)が異なるため、様々な工夫が施されているのだそうです。

第6号トンネルには職人のこだわり「山型めじ」があるそう。

見映えが良くなるそうで、でも車窓からは見えないと言うのですら、もはや職人の意地ですね。

当時各会社で様々な意地のぶつかり合い(高めあい)があったのだろうと想像します。

第4号トンネルです。

このトンネルの壁には等間隔に金属製の出っ張りがあります。

こちらに向かって尖っているものもあり、「怖っ!こんなところで壁ドンされたら、背中にブスッで死んじゃうね」と言いました。

すると皆に「こんなところで壁ドンしないだろ」と言われ、それもそうだし、そもそも壁ドンされたことなど一度もないし、これからも未来永劫そんなことは無いんだったと思い、少し安心しました😅

今はむしろよろけて手をつかないように気を付けなければいけません。

最初からそっちを心配しろってか(笑)

雰囲気がいいですね~✨

第5号トンネルです。

めがね橋までの最後のトンネルかな。

雨がやむ気配は全くなく、レンズに水滴がついていますね。

入り口に立派な柱状の飾りがありました。

これも職人渾身のデザインでしょうか?

かなり重厚感があります。

入り口に「お疲れ様です。もう一息」の表示が。

今までの説明と違ってだいぶ砕けた内容になっています。

めがね橋の上で「めがね橋はどれですか?」って、アホ過ぎるやろ(笑)

ま、私たちも知らなきゃ言いかねないですけどね。

「モデルに責任持てません」って(笑)

これ、平野育ちさんが書いたんじゃね?と思いました。

トンネル灯のお陰で、道が左にカーブしているのがよくわかります。

このトンネルは崩壊が激しいのか、内部をセメントで補修してありました。

トンネルを抜けると、そこはめがね橋です。

トンネルを出てすぐに左手に行ける場所があるので、そこから3人を撮ました。

上から車道を覗きこみます。時刻は11時ちょうど。

中尾小屋を出てから19分でした。

こちらは反対側。

沢と橋から下におりる道が見えます。

この説明は文字の数は少ないのに、新線なんだか新幹線なんだか、混乱を招きます。

「え?新線なのに廃線なの!?」

「ん?あの橋は新幹線の橋なの?」

「えー、でもあそこまで3キロはないよねぇ」などと話しました。

見えている二本の橋は既に廃線になっている当時の新線(信越線)ということらしいです。

新幹線ははるか3キロ先の山の中を走っているので見えません。

めがね橋を修復工事中の写真です。

めがね橋は、長さ291m、高さ31mもある、碓氷線最大のレンガアーチ橋です。

明治25年4月から工事を始め、その年の12月には完成したのだそうです。

明治27年の地震で橋脚の一部にヒビが入ったため、その後2年かけて補強工事が行われ、アーチリーグが太くなったそうです。

お陰で当初のスマートさは失われたとありますので、初めはもっとシュッとした姿だったのでしょう。

今はとても重厚感があり、この上を新幹線が通っても大丈夫そうなほどの安心感があります。

橋脚は随分と地中深く埋められているのですね。

強度を増すために(今の鉄筋の代わりに)細長い石が中に埋められ、逆に上部は軽くするため石炭くずなどが入っているのだそうです。

水抜の穴は今も機能中とのこと。

よく考えられていますね。

早速下に降りてみましょう。

雨に濡れて木々の幹が黒くなり、新緑とのコントラストが目に鮮やかです。

「うわ~、大きい~🎵」とウォーリーの声。

確かに補強工事がされているのが形からわかりますね。

何度見ても美しいですね。

そして橋脚が地中深く埋まっているのがよくわかります。

得意の自撮り棒登場。

ターボと交代します。

どうですか、このセンスのなさ。

地図を見るのは得意なのに、自撮り棒の扱いはいくらやっても上手くなりません。

一番撮りたい背景は左右にズレているし、橋の上部がかけているし、自分自身はすごく笑顔に無理があるし、、。

いつも私に「下手くそ!」と言われ、「はい、はい、どうせあたしゃ下手くそですよ。これから何度もやればすぐに慣れるから!」と言っておりました。

そもそも、みんなを自分の左手に入れて自撮りするのに、自撮り棒を左手で持ってるところからおかしいでしょ。

とにかくターボは何かにつけて不器用なのです。

天は二物を与えずの見本みたいな人。

無駄な頭の回転(ダジャレ脳)を指先に分けてもらえば良かったよね(涙)

再び橋の上に戻ります。

自撮りの下手さを挽回すべく、ターボは「階段の数を数えるよ~!」と張り切っています。

姫は「130段!」、ウォーリーは「100段ないんじゃない?」、私は「123段!」と予想しました。

結果は「113段」だったそうです。

あれ?私はニアピン賞?と思いましたが、ターボから賞品はありませんでした。

11時19分、第6号トンネルに入り、熊の平に向かいます。

写真が半分なのは、トンネルの入口で観光客の若いお姉さん二人組が写真を撮っていたからです。

このトンネルは一番長くて、中に二ヶ所ほど灯り取り(あるいは煙逃し?事故時の避難用?)のための穴が上部と横に空いています。

結局「煙対策」の穴だということが後でパンフレットをもらって分かりました。

ウォーリーが「鹿だ!鹿がいた!」と叫んだので、「どこどこ?」と覗いてみましたが、斜面をかけあがり樹木の間(多分尾根の向こう側)に走り去るお尻しか見えませんでした(写真には写っていないと思います)。

長かったトンネルを抜けます。

次の第7、第8トンネルは、元はひとつの山だったところを工事短縮のため半分の所で山自体を削って二つのトンネルにしたのだそうです。

ピラスターもパラペットもない、最も簡素な造りとなっているとか。

ピラスターとは壁面より突出した形の柱のこと。

パラペットとは、屋根につける防水の張りだしのことだそうです。

「前に来たとき、この辺りに石職人のサインがあるって何かに書いてあって見つけたんだよ。熊次郎だったか、彦次郎だったか。」と探していると、あった、あった。

「石工 大」のサイン。

熊次郎ってなに?私の記憶のこの当てにならなさ!

第7トンネルです。

大きく枝を広げた大木。

幹が何本もに分かれ、下の方からアプトの道まですごい枝振りです。

夏の暑いときなら、涼しいオアシスになるでしょうね。

明治26年に完成した碓氷線の工事費用は当時のお金で200万円。

現在の貨幣価値に換算すると400億から500億円らしいです。

ほぼ1000円札で生活している我々庶民にはそれが高いのか安いのかピンと来ません。

何しろゴーンさんは毎年50億円もらってたらしいですから、ゴーンさんの私財で作れると考えれば安いのかも?

碓氷線は66.7%という旧国鉄でも屈指の急勾配で事故が多かったようです。

第7号トンネルに入ります。

ん?ちゃんと飾りの柱などがありますよ。

もしかして山を崩した第7号トンネルの出口と8号トンネルの入口が簡素ってことなのでしょうか。

やっぱりそうですね。

説明文をよくよく読み返すと、第7号の軽井沢側と第8号の横川側が同じ造りで簡素にできていると書いてありました。

あれ?あれ?これは?

山型めじではないですか?

この時は「へぇ~、山型めじが残ってるね~。今まで気がつかなかったけど、あったんかねぇ」などと話しましたが、今ブログを書きながら、この山型めじはこのトンネルだけだったのだと分かりました。

私たちポヤッとしてるようですが、意外とちゃんと観察してたんだなと思いました。

ここは第7と第8の間なので、ここの山を削って無くしてしまったということですよね。

ずいぶんと背伸びしたまむし草ですね。

そんなに首を伸ばして何を見たいの?!って感じ。

第8トンネルを抜けると橋が現れました。

自撮り写真です。

さて、ターボに練習してもらいまひょ。

う~ん、曲がってるよぅ。

何度かチャレンジし、お、これはなかなかいいねっていうのが撮れました。

ターボの表情にも余裕が感じられるようになりました。

その調子、その調子(*^^*)

滝が流れています。

こちらは第9号トンネル。

あれ?これはずいぶんシンプルですよ。

最後の第10号トンネルが現れました。

碓氷峠にはかつて26のトンネルがあったそうです。

最長は6号トンネルで546m、次は26号で432m、21号は286m、16号は265mと続きます。

「6」のつくトンネルは長いとよく言われたそうです。

熊の平へ向け最後のトンネル(第10号)です。

レンガの間に根をはり、健気に花を咲かせるスミレ。

熊の平は、信号所として給水、給炭を行っていました。

旅客の乗降に伴い、ホームでは駅前の「玉屋」が「力餅」を売っていたそうです。

ん?「力餅?」どこかで聞いたぞ。

そうか、途中にあった(アプト道からは見えないけど)ソースカツ丼のお店の名前じゃないですか!

「信号所」ってなに?とターボが聞くので、登り下りの信号を管理するんじゃないの?と言うと「出発しんごう!」だそうです。

みよんさん、こんなんでいいですか?

大したこと言わないですよ。

今回私は写真を撮りながら後ろから少し離れて歩いていたので、ターボのダジャレにあまり遭遇しませんでした。

みよんさんが待っているので、「今日何かダジャレ言った?」と聞くと「言った、言った!」というので、どんなの?と聞くと、しばらく頭を傾げて考えていましたが、何一つ思い出しませんでした。

「そんなに自分の言ったこと覚えてないよ」と言うので、「自分の発言に責任を持て!」と一喝しておきましたので、次はいくらか覚えているかもしれません。

熊の平に12時ちょうどに到着しました。

昭和25年に起きた土砂崩れにより亡くなった鉄道職員とその家族の御霊を慰めるための慰霊碑です。

ウォーリーが全てのもの(慰霊碑も小稲荷さんも)にお賽銭を入れ手を合わせていました。

ホームの向こう側に渡ってみます。

熊の平駅の歴史が書かれています。

文部省唱歌の「紅葉」はこの辺りの紅葉のことを詠われたものだそうです。

ウォーリーが「熊の平っていうからもっと平で広々としたところなのかと思ってた。ここが終点!?」と驚いていました。

そうなの、ここが終点なの。

これより先はトンネルにフェンスがはられ、行くことはできません。

確かに一般的な「平」から想像する草原などと比べると狭いけど、ずっと急勾配で登ってくる機関車にとっては、この場所は行き違えたり、給水したりする貴重な平らだったのだろうなと、様々な説明文を読んで納得しました。

ちなみに熊の平にはトイレはありません。

以前はあったのだけど、めがね橋の駐車場にできたら、なぜかこちらは無くされてしまったらしいです。

それから自動販売機などもありませんからご注意を。

以前大学時代の友達と歩いた時は、暑くて喉がカラカラになり、熊の平まで行けば自動販売機くらいあるんじゃない?と言いながら息も絶え絶えたどり着きましたが、あるのはこんな廃屋だけで、喉を潤すことができず絶望した記憶があります。

それではそろそろ戻りましょうか。

すると姫が「え!?ここから歩いて帰るの?トロッコに乗るんじゃなかったの?」と聞いてきました。

へ?

いやいや、トロッコはこんなところまで来てないよ。

「峠の湯に乗り場があったでしょ。あそこから乗るんだよ」と言うと、「なんだ、そうなのね」と言っていました。

なるほど、だから姫は往路でやたらと帰りのトロッコ列車の時刻を気にしていたのか。

何度かトロッコ列車の時刻を調べない?と言ってきて、私のカメラの中に入ってるから後で見れるよと言っていたのです。

そりゃここからトロッコに乗って帰れればサイコーだけどね。

それが出来ないから距離が恐ろしいことになるんだよ(涙)

下り始めると、気温が下がってきたのか、袖口から染み込んだ雨で肘から下の腕が濡れて寒くなってきて、お腹が痛い感じになってきました。

ウォーリーもトイレに行きたいと言っているので、二人でちょう早歩きです。

なので、下りでの写真は唯一これだけ。

トンネルを抜けめがね橋が見えてきた時だけ一応撮っておきました。

この頃になると、私はかなりヤバい雰囲気になってきて、後ろからターボと姫がついてきているかなど構っていられないほどになっていました。

雨は益々強くなっている気もします。

「この雨、結局一日降ってたね。いくらか曇りになったりするのかと思ったのに」

「なんか私たちのあたまの上だけに雨雲あるんじゃない?きっと姫のせいだよ。姫が雨雲を連れてくるんだよ。だから巻いちゃうか!」ということで、更に加速し姫を巻く作戦に出ました。

後ろから姫の「みほさん、早くない?」の声が聞こえます。

ウォーリーとにやつきながら一気に下ります。

いや実はまじでお腹が痛いのです。

一刻を争います💦

もしも喫茶店が開いてなかったら、湖の側まで下らないといけません。

どうか開いてますように。

ウォーリーがベイクドチーズケーキ、食べられますように!

スタコラサッサ、スタコラサッサと進んでいくと、、

建物に暖かそうな灯りが灯っている!

お店が空いてるみたい!(写真を撮る余裕なし)

ということで、

外のベランダに荷物を投げ出し、とにかくトイレを我先に目指しました。

時刻は12時35分、熊の平を12時10分に出てきましたから、行きには(めがね橋での見学も含め)1時間半かけて歩いた道のりを25分で下ってきました。

ベランダに荷物を置いて振り返ると巻いたつもりだった二人がすぐ後ろにいてびっくり。

切羽詰まった私たちが歩みが速いのは当たり前ですが、距離を離されないよう二人もちゃんとついてきてたみたいです、雨雲と共に(笑)

はい、落ち着きました~(*^^*)

コーヒーとベイクドチーズケーキを頂きます。

ここでルートマップを今さら頂き、そこにあった妙義山のマップを見て、お店のママさんと妙義山談義をしました。

妙義山辺りのご出身で、小中と遠足は妙義山だったそうです。

コーヒーハウス「mini mini」です。

気さくなママさんがいて、有機栽培コーヒーが美味しかったです。

隣にある、息子さんがやっている森の雑貨屋さん「コロボックリ」に立ち寄ります。

この屋根、斜めになっているんですね。

おとぎの国のお店みたい(*^^*)

ここには木の実で作った動物たちと、フェルトで作った森の妖精が住んでいます。

いや、まさに住んでいるという表現がぴったりなのです。

許可をいただいて店内を撮影しました。

お店のご主人(息子さん)が撮ってくださいました。

このお店には優しそうなご主人が考え出した様々な森の妖精がいます。

ひとつひとつ手作りなので、なかなかに高価なのですが、私たちでも手の届く缶バッチがあったので、みんなのイメージを考えながら、選んでみました。

左下の目がまん丸の可愛いフクロウは、「コノミズク」。

ターボが選びました。

その隣のうす緑色のバッジは、ヘーゼルナッツの「ナッツマン」です。

栗の形ににていたので、今度一緒に山に行く予定になっている「クリさん」へのお土産にしました。

その隣(右下)は、ゴミの中の妖精「ヘラクレスクロポン」です。

皆が「これ絶対みほさんだよ!」と勧めてくるので、「えええ、ゴミの妖精~?」と思いましたが、

フェルトで作った「クロポン」を見て、なるほど可愛いかもと思い、私のバッジとなりました。

頭にアンテナ立てて、いいこと探しをしている感じが気に入りました。

「クロポン」の上にある青いバッジは、「クビレコロボックリ」。

まだお会いしたことはありませんが、イメージで、今度一緒に山に登る約束の「あきっこさん」へのお土産です。

その隣の赤いのは、姫の「アベマキマン」です。

姫が「私はこれ!」と結構即決していたので、ご主人(作者)に「これってワガママのイメージですよね!?」と聞くと「まぁ、そんな感じですね。気が強い感じ」と言ってくれて、「じゃ決まり!」となりました。

その左隣のベージュのは、いつの日か山で偶然会えたらお渡ししたいので、「たけさん」へのお土産です。

「カシワコロボックリ」だそうです。

その隣(左上)の白いのは、姫が今日急遽参加できなくなったハガレーナのために選んだ「ミノブタ」です。

ハガレーナに画像を送ると、「わ~い、虫だ~🎵(大の虫好き)」と言ってくれましたが、すかさずウォーリーが「あれって虫じゃなく、ブタだよ」と一撃を食らわしてました(笑)

ちなみにそんなウォーリーは、もう少しお高いネックレスを購入したので、バッジ仲間には入りませんでした。

ずいぶんゆっくりしました。

ワンちゃんにバイバイしてそろそろ戻りましょうかね。

雨に濡れてモップのようになったワンちゃんです。

またね!

カフェを14時10分、出発です。

私たちはまだお昼を食べていません。

歩きながら、トロッコ列車の時間を調べて、その時間によって「峠の湯」か「力餅」で食事にしようかと言いながら、トロッコ列車の時刻表を見ようと思い、「あっ、カメラの電池切れちゃったんだった」(^^;

チーン😢

結局歩いて戻ってみるしかありません。

峠の湯のトロッコ乗り場に帰りついたのは14時28分でした。

見るとトロッコが停まっていて、時刻表によると14時40分発車のようです。

トイレだけ行って食事は後にし、これに乗って帰ることにしました。

料金は鉄道文化むら入場券も含めて900円です。

丸山変電所通過。

15時、鉄道文化むらに到着です。

少し迷いましたが、料金900円の中に文化むらの見学も含まれているようなので、一応ぐるっと回ってきました。

ウォーリーは廻り合いを求めているので、「めぐり愛の鐘」を鳴らしておきました。

私と同じ年の客車です。

これは引退していますが、私はまだ後少し頑張らねば!

子供のように色々動かして遊びました。

はしごがあると登りたくなるターボ。

アプト式の線路。

今日歩いたコースの標高差はこれで一目瞭然ですね。

標高386Mから熊の平688Mまで、標高差302Mの道のりでした。

朝のバス停まで戻ってきました。

朝と同じように雨は降り続いています。

ここでカッパを脱ぎ、おぎのやドライブインに移動して、ようやくお昼にありつけました。

温かいラーメンやお蕎麦を頂き、体がポカポカになりました。

距離は16キロを越えていますが、トロッコに2.6キロ乗ったので、歩いたのは13.5キロ位です。

今回のブログはだいぶ長くなってしまい、申し訳ありません。

最後にこの写真だけ載せさせてください。

笑って許してもらえるものと思います。

(爆笑)


雨の火曜日、主人公のウォーリーは最後にサイコーのインパクトを残し、「楽しかった~🎵」と言ってくれました。

よかった、よかった(^-^)


この春からターボと私の勤める会社では3ヶ月に一度取ることを推奨している「健康増進休暇」なる制度が新たに始まりました。

取得しなければ3ヶ月で権利は失われ、また次の3ヶ月で一日付与される仕組みです。

今までターボと二人で同時に平日休みをもらうのには強い抵抗がありましたが、これからは堂々と「山に行ってきます!」という理由で一緒に休めるではありませんか!

だって「健康増進休暇」なのですからね(*^^*)

ということで、これからは3ヶ月に一回はウォーリーを連れて、火曜日に山に行きます!

今後はこの面白いキャラクターが度々登場することになりますので、よろしくお願いします🙇⤵️


長い長いブログに最後までお付き合い頂き、ありがとうございました☺️


自宅0645〰️(コンビニ経由)〰️本庄児玉IC0730〰️松井田妙義IC0809〰️横川駅鉄道文化むら0816

車での所要時間 1時間31分


鉄道文化むら0853~(31分)~丸山変電所0924(5分)~(21分)~峠の湯0950(10分トイレ休憩)~(30分)~中尾小屋1030(11分おやつ休憩)~(19分)~めがね橋1100(19分見学)~(41分)~熊の平1200(10分見学)~(25分)~カフェ1235(1時間35分お茶と買い物)~(18分)~湯の平トロッコ乗り場1428

ハイキングの全行程 5時間35分

(うち歩行時間 3時間5分)

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