50代からのお気楽山登り

これから山登りを始めようと思う方、ハードな山は無理だけど山歩きを楽しみたいという方に参考にして頂けたらと思います。山行記録と写真、行程図のイラスト、私なりの難易度を載せています。

【大人の遠足】笠間再訪。午後はまいたけ天ぷらと小幡城址。2021年12月18日(土)午後


外界は明るいのに、全く日が射し込まない小幡城址から、こんにちは。


いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。


たこひもさんと別れた午後は、「里山 歩さん」からご紹介いただいた笠間のまいたけと小幡城址を味わいたいと思っています。

「笠間 まいたけ 天ぷら」で検索すると、最初に出てきたのが、「すみよし」さんでした。

笠間から小幡城址のある茨城町へ移動する途中にあるようなので、立地的にも最適です。

とても美味しそうですよね。

ナビをセットして行ってみましょう。


栗林の中をくねくねと進み、ホントにこんなところにあるの!?と心配になるころ、現れました、「すみよし」さん。

簡素な造りの吹けば飛ぶような雰囲気ですが(失礼😅)こういうお店ほど美味しいんですよね🥰

靴を脱いでスリッパにはきかえた店内は広々としています。


三人ともまいたけの天ざるそば(細麺)を注文しました。


まいたけの量が凄い!!

午前のモンブランで懲りている私は「全部食べられるかな?」とチラッとよぎりましたが、、口に運ぶと、、、


「美味しい!!!めちゃくちゃ美味しい!!!!」


過去に食べたまいたけ天ぷらの中で一番美味しいです🥰

これを絶品と言わずして何を絶品というのか!ってくらい美味しいです!

衣はサクサクしていて、まいたけ独特の食感は楽しいし、香りも豊か。

そして味が濃い!!

口の中は、サクサク、コリコリ、ふぁ~んです😁

一口食べる度に「美味しい~⤴️」と言ってしまう🤣🤣🤣

食事中、「美味しい」という言葉を何回言ったことか!

多分20回くらいは言ったと思います。

あまりに私がうるさいので、それを聞いたお店の方が厨房から「ありがとうございます」と言うほどでした🤣🤣🤣

だって「美味しい~⤴️」を言わずにおれないんだもの😁

こんなに感動したのは、島根に帰省した時に、山口県の須佐で食べた「イカの天ぷら」以来です。

あの時も一口食べる度に「美味しい⤴️」と言い続けた記憶が(笑)

まいたけ天ぷらはお店によって当たり外れがあるので、観光地などで注文するのに躊躇する料理ですが、ここ「すみよし」さんのそれは過去最高の美味しさでした。

ターボが観察していたところによると、注文が入ってから、衣をつくり、大きなまいたけを手でさいて作ってくれていたらしいです。

いや、ほんっとに美味しかった!!!

今年一番美味しかった!感動したお料理でした。

これを食べれただけで笠間に来れて良かったと心底思いました。

お蕎麦も香り豊かでツルツルっとのど越し爽やか!

結構な量でしたが、大満足で完食でした。

初め見たとき、この量食べられるかなと思った天ぷらでしたが、もっと食べたいくらい、最後お皿のすみに落ちていた欠片を口に入れたらそれもまいたけの茎の部分だったので、ラッキー!!と思うほど、とにかく美味しかったです🥰

まいたけが笠間の特産だと教えてくれた「里山 歩さん」、ありがとうございました。

ポツンと一軒家の農家さんは分かりませんでしたが、自分であんなに上手に揚げる自信はないので、完成形を食べれて大満足です。

「すみよし」さん、美味しい天ぷらとお蕎麦をありがとうございました!

しかもお値段、1100円という超良心的価格。

この天ざる、、都会で食べたら2000円以上すると思いますよ。

交通費をかけてもまた食べにきたい、、子供たちを連れてきてあげたいと思いました。


さてさて、お腹も満たされ、幸せな気分で次に向かいます。

ナビに小幡城址をセットして進みますが、一向に山城的な風景は現れません。

山城って、遠くから見ても、「あ、あれって城址じゃない?」と思いナビやマップで確認すると大体当たっているんですよ。

山の形や周囲の地形から、きっとあそこは山城跡だ!って推理できるんです。

何しろ山城は現代のコンビニの数より多かったんですから!

なのでどこに行ってもターボと私の「あれ、山城じゃね?」が乱れとびます(笑)


でも小幡城址は全く分かりません。

辺りは田園地帯。

所々に林や鎮守の森的なものが点在しているくらいです。

こんなところにホントに城址があるの??

さっきの「すみよし」といい、茨城県は意外性の宝庫ですね😁


とはいえ、ナビは正確ですから、小幡城址と書かれた駐車場に無事着いたのですが、、、

周囲をぐるりを見回し、「え?どこ?」となりました。

田畑に囲まれた駐車場の横にうっそうと繁る竹林や雑木の森があるだけです。

ん?あそこに標識っぽいものがあるね、、あそこじゃない?

行ってみよう、、、


ドッヒャーーー!!!

なんじゃこりゃ!?


午後の部は、私の驚きの表情からスタートします。

目がこぼれるから!!

そのくらい驚きました!


な、、何これ!?

こんなに高い土塁と深い空堀、、初めて見た!!

田んぼに囲まれた雑木林に忽然と現れる、ぽっかりと空いた空間。

まるで秘密の要塞に向かう闇の入り口みたいに見えます。

いや、実際敵の陣営から見たら、まさにそうだったわけなんですけど。


日本二百名城からもれたという小幡城址、、、これは凄い⤴️⤴️

城址マニアが絶賛するのが良く分かります(まだまだ序の口ですが)

城址巡りの経験が浅い花子ですら(そう言うとターボと私が経験がありそうに聞こえますが🤣🤣🤣)、「うわ~、何これ~?凄いね~⤴️」と言うほどの異様な景色です。


茨城町指定史跡「小幡城跡」の略歴です。

歴史に疎い私には、豊臣秀吉以外の名前はちんぷんかんぷんですが、城主は変わりながらも、鎌倉、室町、安土桃山時代と、数百年に渡ってここは城としての役割を果たしていたのですね。


城址の略図がありました。

多くのブログに、この地図を写真に撮っておかないと、道に迷って、出口を見つけられないと書いてありました。

中は迷路のようになっているらしいです。


春風亭昇太さんが「巨大空堀迷宮」と呼ぶ「小幡城」へ、さっそく入って見ましょう!

いざ、出陣!!

ターボの背中には百均で購入したおもちゃの刀が忍ばせてあります。

土塁や堀などの遺構がしっかり残っていると聞いていたので、ターボと私で敵と味方に分かれてチャンバラごっこをしようと策略をめぐらしていたのです(花子はカメラマン)が、まさかこんなに深い堀(高い土塁)だとは思っていませんでした。

こんなに規模が大きいと、敵と味方が合間見える場所はそうそうないです💦💦💦

ほぼ上にいる見えない敵から弓矢を射られておしまい🤣🤣🤣


最初の迷路ポイントにやってきました。

早速どっちに進むのか見当がつきません。

ターボはヤマップを、花子は余湖さんのブログで確認中。

実際の侵入シーンでは、こんなことやってないで、三方に分かれて、ワーーーーッ!!と突進したのでしょうが😅

、、、と思ったらどうやら違うようです。

余湖さんの縄張り図を載せます。


私たちの現在地はここです。


どうやら4郭の南側にあるこの空堀と北側にある空堀(写真は撮らず)は通行止となっていて、、


こちら(左手)に切通しの通路を作ってしまっているようです。

迷路のような城址の中で道迷いするのを防ぐために、土塁の遺構を壊して本丸へ行きやすいように切通しを作ったということみたいです。

も、も、勿体ない💦💦💦💦

もしも案内地図と同じように、かつての遺構が残っていたなら、この場所から本丸へは容易にたどり着けず、まっすぐに進んでも右に向かっても、その先は行き止まり、、間口の大きさに惑わされて侵入した足軽たちは、どこにも行けぬまま、高い土塁からの弓矢に射ぬかれ、死屍累々の山を築かれてしまったことでしょう。


(注‥案内図の現在地は無視してください)

入り口から連なる細い土塁を越えてルートが設定されています。

これは土塁を越えるのかと思いましたが、切通しで通れるよって意味だったんですね。

現代の私たちは、この切通しのお陰で楽に先に進むことができますが、、でもやっぱり勿体ない気持ちはぬぐえません😫

他に方法はなかったのか、、💦💦


それにしても土塁が高い!!

まさに谷底を歩いている状態です。

日が全く射し込まなくて、空気がひんやりしています。


その名も「堀底道」。

土塁の高さは10mにもなるそうです。

そして、いたるところに、横矢掛かり😱😱😱

絶対この城に攻め入りたくない🤣🤣🤣


本丸に行く前に櫓跡に登ってみましょう。


堀の底から初めて土塁の上へと向かいます。

どんどん広がる視界に、「うわ~、凄い眺めだね~⤴️」と花子。

ここはこの辺りでは一番高い場所らしく、12~13mはありそうと余湖さんが書いています。

しかも形状は枡形になっていて、とても重要な役割を果たしていた城の守りの要的な存在です。


階段を登ると左手1郭(本丸)へ向かう堀底道と奥に虎口を眺めることができます。

本丸を守るための最後の砦、、ここまでたどり着いた敵を仕留める最後のチャンスです。


櫓跡にはスダジイの巨木がたち、今も城址を見守っていました。


あなたはいつ頃からここにいるのかい?

落城してからだから、え~と、天正18年を調べると1590年、、その時芽を出したとしたら430年か、、。

そこまでではないかな?

樹齢100~200年ってとこですかね?(何の根拠もない😅)


それにしても、かつてはなかった多くの木々が繁っているとはいえ、430年経過してもこれだけの堀や土塁が残っていることに驚かされますね。

重機などない時代に、こんな平地にこれだけの土を堀り、盛り上げ、固めた労力たるや、いかばかりだったかと、、😫

花子が「命を投げ出してでも何かを守ろうとする人々の執念というか、その有り様って想像つかないね」と言っておりました。


櫓跡から土塁を歩いてみます。


「小幡城遺構の特徴」が分かりやすく解説されています。

土塁上に凹をもつ「変形武者走り」を見てみましょう。


おぉ、ここはちょっと荒れています。

しかし土塁の中央が窪み、両側に数メートルの壁ができていることが分かります。

少ない兵士で、土塁両側の空堀を走ってくる敵を攻撃できる機能を有し、他では見ない構造だそうです。

ワクワクしますね😁


花子が城を守る兵士の気持ちで土塁の上に乗ってみました。

「おぉ~、高い!!」


目の前は武将とその家族がいる本丸です。

何としてもここで敵を射止めなければなりません。

ここまでやってきたということは、大変な幸運と胆力と身体能力を兼ね備えた敵です。

油断はなりません!!


射止め損ねた敵が虎口を上がって来ました!!

櫓台から味方の援軍が走ってきます!

挟み撃ちだ!!!

、、、兵どもたちの足音と雄叫びが聞こえてきそうですね😆

そんな世界を想像できる、素晴らしい遺構でした。

午後だったこともあり、私たち以外誰もいません。

「子供たちの遊び場にとても良いと思うけど、、誰も来ないんだね」と花子が呟きました。


私たちは安全な道をたどって、次に目指すは本丸です。

急な階段を「小股、小股」と言いながら下っていると、花子が「笠間城址でたこひもさんが小声で『こまた、こまた、、』って言いながら歩いてて可愛かったよ」と発言。

するとターボがすかさず「こまた、こまた、ここはおばた」とダシャレをかましました。

これには笑った!!!

うまい!!

50回に一回の奇跡のホームランだじゃれが出ました!!

「50回に一回の奇跡に立ち会えて光栄だよ!」と花子🤣🤣🤣

いや、ほんとに、、そう。


さて、そんなことをしゃべりながら空堀底を歩いています。

左側は本丸なので、一段と土塁が高い!!


赤い線を歩いています。

本丸の西の端をぐるっと回りこむ形で進みます。

前方が見通せませんから、侵入した敵は怖かっただろうな~😆

酒でも飲んでハイな状態にしておかなきゃ、ここ無理でしょう😫


前方に何か見えてきましたよ。


ちょっと広くなっています。


現在地です。

なるほどね!

ここは竪堀に繋がるんだ!

今は堀が一部埋められ、連続した土橋になっていますが、もしかしたら、かつてはここに木の橋が掛かり、その下に堀が続いていたんじゃないでしょうか?

余湖さんの縄張り図ではそうなっていますよ!


土橋の説明がありました。


ターボが立っているところが土橋です。

郭と郭を繋ぐ少し高い通路ですね。


余湖さんの縄張り図では「3郭」、城址の案内図では「五の郭」と記された方へ行ってみます。


おぅ、これは藪だね。

整備されていません。

もしかしたら私有地なのかもしれませんね。

立ち入るのは遠慮しておきましょう。


本丸をぐるっと回りこむ堀底道に沿って作られた見事な土塁と土橋です。


これだけ樹木が繁っているのに、良く残っていますよね。

城址マニアが嘆息するのが分かります。


いよいよ、本丸の虎口へ。

お姫様はいずこに!?


かつてはここに大きな門があったんでしょうか?

両側の土塁と同じ高さの門(見張り台)があったことでしょう。


「小幡城址本丸跡とその外郭」

東関東自動車道まで敷地があったんですね。

城の鎮護のために、東北の鬼門に香取神社、南角には稲荷神社が祀られているとのこと。

後で寄ってみましょう。


余湖さんによると、本丸は四角形をベースとした多角造形で一辺が100mあるそうです。


周囲にぐるりと高さ5mほどの土塁が取り囲んでいます。

空堀から見上げた時に本丸(1郭)側の土塁が高かったわけですね。

余湖さんによると、5m掘り下げて、その土を周囲に盛って固めているということらしいです。

めちゃくちゃ大変じゃないですか??

その5mの高さ(堀底道からなら15mの高さ)の土塁の斜面にへばりついて、多くの兵が殿を、姫を、家族を守るために、最後の抵抗を繰り広げたことでしょう。


本丸内に井戸跡がありました。

兵たちが命を投げ出して守ろうとした城は落ち、姫はこの井戸に身を投げて自害したとあります。


埋められていますが、今でもその大きさ(深さ)が想像できます。


土橋を渡って、さっき立ち寄った「3郭」とは逆に行って、稲荷神社にお参りしておきましょう。


歩いているのはこの辺りです。


小さな祠がありました。

今日もお邪魔しました。

歩かせていただき、ありがとうございました。

その後余湖図の「2郭」方面へいきかけましたが、道が無さそうだったので引き返し、本丸虎口から下って出口に向かいました。



この場所までやってきました。

余湖図の「2郭」と「5郭」の間と、「5郭」と土塁の間には進入禁止のロープが張られていて歩くことはできませんでした。

この赤丸の場所に立ち、ターボが、、


「こっちに出口があるとはとても思えないね」と呟きました。

確かに、先が見通せなくて、「出口→」の標識がなければ出口とは思わない気がします。

本当に迷路のような城址です。


土塁を切通して作った道を進み、最初の分岐まで帰ってきました。

写真に撮ったのは、


この場所です。

「4郭」を正面にどちらの空堀も進入禁止にされていました。

(最初にも書きましたが😅)

どちらに行っても行き止まりか、城の外に誘導される仕組みになっているようです。

今は土塁を切断して作った切通しがありますから、難なく本丸へ行けますが、当時の敵たちは、どうあがいても城の外に吐き出され、度々、、


こんな景色が目の前に現れて、右往左往したことでしょう。

(奥に見えるのは鬼門にたつ香取神社です)

慌てふためく兵を想像するとちょっと笑える、、新喜劇みたい🤣🤣🤣


いやぁ、小幡城址、、想像以上でした。

ここは楽しい!!

教えてくださった「里山 歩さん」、、ありがとうございました!!


古いブログを読むと駐車場は4~5台だと書いてありましたが

なんのなんの、12~3台は停められそうな広い駐車場が整備されていましたよ!


帰路に見た北関東道からの富士山です。

富士山と浅間山が長く同時に見えていました。

奥日光の山並みは雪雲に覆われ寒そうでした~😆

八ヶ岳も寒いんだろうな~😫

でも白銀の世界だよ!


こんな写真が送られてきました!

おおぉ、素敵!!🥰🥰🥰

やっぱり雪山はいいなぁ…⤴️

ハガレーナたち、今夜は楽しい雪の山小屋でクリスマスナイトです✨🎄✨


いつもブログを応援していただき、ありがとうございます。

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