【読書】山さ行がねが(平沼義之)
こんにちは!
いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。
少し前に巻機山のブログを書いていた際に、清水峠に関して調べていて偶然見つけたサイト「山さ行がねが」
あまりの面白さに、この方の本を三冊も購入しました。
往時多くの人々の夢と希望の上に開通し、その後歴史の流れに置き去りにされた道を、人々に忘れられ棄てられた道を、愛してやまないオブローダー「ヨッキれん」の冒険譚です。
【山さ行がねが~廃道探索】平沼義之著(じっぴコンパクト文庫)
《裏表紙》
『自転車で、徒歩で、道なき道を突き進む!これ、「紀行文」??』
日本中に「車道」が作られるようになってから約150年。
無数の道が生まれた一方、放棄された道も数限りなく存在する。
道が廃れる要因は色々あるが、どんなに栄えた幹線道路であっても、役目を終えれば後は自然に還るだけ。
そこには文明社会の道具としての非情が満ちている。
そんな「廃道」に情熱を傾ける男が「ヨッキれん」こと平沼義之。
全身全霊を込めた探索と、詳細な文献調査、膨大な蓄積からの考察。
あまりに莫大な文章量と写真数から書籍化は不可能と思われたWEBサイト「山さ行がねが」が、ここに新たな読み物として誕生!
《表帯》
失われた道路を求めて、
渡る!
潜る!
突破する!
大冒険!
《裏帯》
建設途中で放棄された道
地図にはあるのに通行困難な道
旧道化して人跡が途絶えた道……
全8篇!
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📌極限的な僻地集落へと通じていた廃林道『加須良林道』(岐阜県・富山県)
(本文より)
両白山地の奥深く、笈ヶ岳の北東約5㎞の山中に、加須良(かずら)と桂(かつら)というよく似た名前の集落が、小さな「おのえ峠」を挟んで隣接していた。
二つの集落同士は歩きでも30分で行き来できる近さだが、他の集落からは二里も三里も離れていた。
共に中世に活躍した蓮如上人の開村伝説を伝え、同じ「つたかずら」という植物を村名の由来とする。
仲のよい姉妹のような村で、加須良川と境川という庄川の支流が険阻な峡谷の中流に各々一つだけ作った小さな堆積盆地に立地するという地形もよく似ていた。
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加須良も桂も既に無人化して久しい、、、かけがえのない隣人だった加須良集落の消失が、桂集落に最後まで残った人々の心を折ったのであろう。
なお、桂集落の跡地は平成に入ってから巨大なダム湖に変わった。
はるか下に深く深く削られた谷に向かって、細い滝が垂直に流れ落ちる絶壁。
垂直壁を削って造られた村人たち悲願の林道は、昭和27年9月に起工、加須良川の峡谷に沿ってほぼ最短距離で国道へ出るルートとして昭和36年9月に開通しました。
しかし皮肉にも、車道の開通がもたらすものは、そこに住む人の定住に益するばかりではなく、昭和43年までに加須良の住民は全員が離村したのです。
結果的に外の世界に出ていくために造られたとも言える道となってしました。
そんなあまりにも短かかった加須良林道の今をヨッキれんが旅します。
道が滝壺となっているナメ滝を通過し、大規模崩落を乗り越え、ついにたどり着いた集落の跡地。
簡単に書きましたが、この間に様々な冒険があります。
突然開ける平地。
田んぼの脇に立つ杉の木の太さが、決して短くない放棄されてからの年月を教えてくれます。
「よく手入れされた杉の木は、最後の住人達が子孫に宛てた贈り物であろう。全国の廃村に見られる景色である」
、、、私はヨッキれんのこの眼差しが好きです。
そこに生きた人々の思いをくみ取る洞察力と痛みを伴って共感する感受性とを兼ね備えた人なんだと思うからです。
📌矢ノ川峠の影に隠れた珠玉の廃林道、鳥越林道(三重県)
(本文より)
昭和に入ると木材需要はさらに増大し、国有林の伐採は従来の飛鳥村から大又川を遡った五郷村、さらに奈良県下北山村、雷北山村の奥地まで進展していった。
そしてこれらの地で伐採された莫大な木材を賀田港から搬出する計画が立てられつつあった。
このことを知った南輪内村と飛鳥村人の関係者は協議のうえ、両村長の共同で、県に対して鳥越峠の林道開削を強く要望した。
これが実を結び、昭和7年に三重県が事業主体となって鳥越林道の開削が決定したのである。
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こうして地元の熱意と大きな負担によって開通した鳥越林道は、期待された力を存分に発揮することとなった。
しかし、昭和34年に待望の国鉄紀勢線が全通したことにより、徐々にその役目を終えることとなったのです。
ヨッキれんは、林道入口から鳥越隧道まで、約6㎞、高低差で460Mを自転車で探索します。
「地図上では特徴が薄い行程。そして、周辺の森もほとんどが鬱蒼とした杉林に占められているから、景色の変化も乏しい。だが、それでも私は退屈を感じることなく、むしろ喜びを補給しながら20分、30分と、結構な長時間を進み続けられた。その一番の理由は、路肩に頻繁に現れた石垣である。オブローダーの誰しもが石垣を愛しているかは分からないが、少なくとも私は石垣がとても好きであり、比較的ありふれた『これ』で喜べることは幸せだと自分でも思う。何の変哲もない路傍の石垣も、この道の愛すべきいぶし銀の歴史の実行者なのだ。そして観察者でもある。愛おしい。この道には、随所に生きてきた時間の『長さ』を感じられる景色があった。これは単純に古いという意味ではない、例えば石垣とコンクリート擁壁の混在が、その例である。開通してすぐに棄てられてしまった道にも歴史の非情を想う面白味はあるが、長い年月を生きて過ごした道こそが、吟味に値する廃道の王道だと思っている。」
、、、いやぁ、素敵ですね。
深い考察と重ねてきた経験からのみ得られる観察者・実行者としての静かな興奮。
ヨッキれんは本当に幸せな人なんだなぁと思います。
この後、おびただしい数の倒木のジャングルを自転車を抱えて進み続け、旅はいよいよクライマックスを迎えます。
この8篇の探索の中で、私が一番ワクワクした瞬間でした。
それは鳥越隧道との出会い。
「隧道から勢いよく吹き出し続ける冷風と貫通しているという事前情報がなければ、閉塞も覚悟したであろう光の見えない洞内」
全長280mもある、峠の堂々たる隧道。
入口からなぜ出口が見通せないのか?
それは内部が左右にカーブしているせいではないのです。
ではなぜか?
「洞内を100mほど進むと、真っ黒な闇の中に出口の形が『上から』徐々に見えはじめ」たのです。
峠を越えるため、隧道内部が強い山なりの勾配を持っていたのでした。
鳥肌が立ちました。
照明も反射板もない真っ暗な洞内探索ならではのワクワクとドキドキ。
こんな所を一人で探索するなんて!
怖さよりも好奇心、不安よりも探求心が勝るからこそなのでしょう。
他にも見所沢山の探索があり、それぞれとても興味深く読みました。
実際には自分には真似できない探索なので、本を通して、また次の冒険にヨッキれんと一緒に出掛けたいと思います。
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