50代からのお気楽山登り

これから山登りを始めようと思う方、ハードな山は無理だけど山歩きを楽しみたいという方に参考にして頂けたらと思います。山行記録と写真、行程図のイラスト、私なりの難易度を載せています。

【新潟、妙高】妙高山途中撤退。2021年8月7日(土)


真夏の妙高高原から、こんにちは。


いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。


ついに楽しみにしていた9日間の夏休み初日を迎えました。

この夏休みは、初日に妙高山、火曜日に(火曜日しか休みがない)ウォーリーと雨飾山へ、お盆中に子どもたちと金峰山へ出かけたいと思っていました。

今日は初日の妙高山です。

少し前から天気予報を見ていると、関東地方が曇りマークが多くイマイチだったので、青空を求めて新潟まで足をのばすことにしたのです。

火打山と妙高山が候補に上がり、今回は午後から雨がぱらつく予報だったため、行程の短い妙高山に決めました。

朝早く歩き出し、昼頃には下山して、温泉にでも入ろうかという計画でした。

しかし、あるハプニングから、それが叶うことはありませんでした💦💦💦


不名誉な妙高山撤退編です😭😭😭


🔺🔺🔺🔺🔺🔺🔺🔺🔺🔺


(深田久弥  日本百名山より)


わが国には、その土地の名山を中山と呼んだ慣わしがある。

万葉集に、きさの中山(大和)、古今集に、きびの中山(備中)、さやの中山(遠江)、拾遺集に、みをの中山(近江)等が見える。

そしてその命名の流行が越後にも及んで、こしの中山となったのであろう。

こしの中山と呼ばれただけあって、妙高山は越後の名山である。

越後富士とも称せられる。

越後のみならず、私は日本の名山だと思っている。

その均整の取れた山容の気品と言い、ドッシリと安定した量感と言い、のびやかな裾野の雄大さと言い、名山としての名に恥じない。

・・・・・・

中央の火口丘がスックと高く、その右に神奈山、左に前山、この二つの外輪山の尾根が、ちょうど火口丘を首にして両襟を掻き合わせたようなさまを呈している。

この中央火口丘は心岳(しんだけ)と呼ばれている。

その頂上に立つとよく判るが、これほど典型的な円形カルデラも珍しい。

心岳を真ん中において、まるでかごめかごめの遊戯のように、神奈山、大倉山、三田原山、赤倉山等が、円く取巻いている。

そしてその火口丘と外輪山との間の環状の火口原(と言っても広くはない。原ではなく谷の趣をなしている)の水が集って、二つの火口瀬、即ち大田切川(北地獄)、白田切川(南地獄)となって、あの広い妙高の裾野を貫流している。


(ガイドブックより)


頸城山塊は、新潟県南西部と長野県との県境に峰を連ねる連峰である。

妙高山はこの頸城山塊の主峰であり、火打山はその最高峰である。

この2峰に焼山を加えて「頸城三山」といい、この山域の中心をなしている。


🚙🚙🚙🚙🚙🚙🚙🚙🚙🚙🚙


今回も出発は深夜。

1時半に自宅を出ました。


燕温泉手前の道からは朝焼けと三日月が見えました。

雲海に朝日が映り、まるで雲海が炭火のように見えました。


燕温泉の駐車場に到着したのは、4時20分頃でした。

すでにこれだけの車が停まっています。

そのほとんどが前泊中の様子でした。

しかし、まだ駐車場には余裕がありました。

隅にきれいなトイレもあります。


🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶


歩き始めは4時38分でした。


トイレの横に登山道案内図がありました。

私たちは燕温泉からの分岐を右手に入り、妙高縦走線を歩くことになります。


燕温泉の中を通ります。

まだ寝静まって静かな温泉街(?)


燕温泉の一番奥にまた案内図がありました。

ここでコースを確認すると、妙高縦走線がメインルートと書いてあったので、そちらを選択しました。

後に北地獄谷コースの方が現在のメインルートだったと知るのですが、この案内図にはサブルートとの表示でした。


こちらが案内図によるとメインコースである妙高縦走線の入り口です。

この手前で入山料500円を料金箱に入れました。


少し進んで振り返ると、空がとてもきれいでした。


前方に目指す妙高山が!

モルゲンロートだ~⤴️


早朝登山はこんな景色も見られるんですね🥰


大倉谷に沿ってしばらく平らな道を行きます。


妙高橋を渡ります。


登山道になりました。

今日はハガレーナと二人なので、少し早めのペースで歩いてみようと思っています。


惣滝の分岐です。

惣滝への道は通行止でした。

私たちは左へ行きます。


時々振り返って、美しい空を眺めました。


結構な急登です。

汗が吹き出し、度々水分補給しました。

最近は少々の急登では息が上がらなくなっていましたが、今日は息が上がります。

多分ペースを早めにしているからだと思うのですが、、。


あ、、気の早いもみじが。

秋はまだもう少し先だよ~⤴️

まだまだ夏山を楽しみたい😁


二合目で、標高1340Mですって。

燕温泉が標高1100Mでしたから、標高差240M登って来ました。


尾根に乗りました。

日が昇って森に光が射し込み、森がとても美しいです。


尾根に乗っても、登山道はまだまだ急勾配。

体がだいぶ動くようになってきました。


道は下りになり、「血の池」という表示のある場所(窪地)を通過します。


ありゃ、ここはジュラシックパークですか?

コモドドラコンでも出てきそうな密林です🤣


草刈りしてないのか、それとも草刈りしてからまた伸びてしまったのか、草や枝を掻き分けて登る道がしばらく続きました。

あれ~?ここ、メインルートなんだよね?


青い額アジサイが沢山咲いていました。


なかなかに渋い登山道です🤣


視界が開けました!

右手に見えるのは、神奈山(1909M)ですね。

妙高山のU字形の外輪山の東側の稜線です。


この花は昨年夏に浅草岳でも見た記憶が。


深田久弥が言うところの左襟ですね。


妙高山を正面に見て登ります。

青空ですね。

早くあの頂に立ちたい!

午後から小雨予報ですから、雲が出てくる前に!


登山道に咲いていた花です。

どちらも名前が分かりません💦


道は山の急斜面を横切るようになり、滑りやすくなりました。

私が振り返って撮影した写真ですが、ハガレーナの左手は崖になっていて、足を滑らせると滑落します。

足元はザレザレで滑りやすく、かなり怖いです。

右手の場所にロープがあったので、それを掴んで万が一に備えました。


なるべく山側に体重をかけ、ロープも枝も使えるものを総動員で慎重に歩きました。

足元の地面が崖側に傾斜しているので、見た目以上に怖いんです😭


この写真を見ても危うさは感じないと思いますが、実は左手の草は崖の斜面に生えているので、足を滑らせたら、谷底まで草をなぎ倒しながらまっ逆さまです😱

なので、右のロープをたどりながら、ゆっくりゆっくり進みました。


左手が崖だという証拠にこの眺め。

朝の清々しい青と緑の景色が広がっていました。

この景色が元気だった私が見た最後の眺めになりました💦💦💦

時刻は6時45分でした。

この写真を撮影した瞬間、木の根っこの上に乗せていた左足がグラッとし、膝が左右にずれたのです。

鋭い痛みが走りました。

「痛っ!」というと、後ろにいたハガレーナが「どうした!?」と言うので、「今膝がグラッとして横にずれた💦💦💦」と答えました。

私の体の中では膝が一番の泣き所で、右膝は高校時代にバレーボールで痛めて、今でも疲れてくると痛くなります。

その右をかばって歩くので、どうしても左膝への負担が大きくなるのか、下りの時などに両膝共に時々グラッとなることがあり、ストックを使ってあまり膝に負担がかからないように気をつけながら歩いているのです。

しかし今回は下りでも登りでもなく、ただ木の根っこの上に足を置いていただけでした。

写真を撮って動き出すために、わずかに体重移動した瞬間に、左膝に何かが起きたのです。

いつもなら、少しグラッとしても、その後も普通に歩けるのですが、、。

今回は足をブラブラしてみたり、ゆっくり進もうと思っても、全く左足に力が入らなくなってしまいました。

あれ?おかしい、何でだ??


この小さな根っこです。

ここが私が負傷したまさにその現場。

ここから動き出すのに、この段差から降りなければならないのですが、左足に体重をかけると痛みがあり、体重を預けることができません💦💦💦

しかし、ここはとても狭い!

私がここにいては、もしもハイカーがやってきてもすれ違いができそうもありません。

前に茶色い地面が見えますが、あそこは崖側に崩れそうになっていて、歩くのは危険でした。

そのため座って休める少し広い場所まで移動することにしました。

歩けないので、右手の斜面にお尻を乗せて、ズリズリと横移動する方式で、、😅


ようやく私が座っても、前を通過できるわずかなスペースのある場所までお尻横移動でやってきました。

ここで膝に薬を塗ったり、サポーターをしたり、膝を休ませる時間を取りましたが、しばらくたって立ち上がっても、全く左足を動かすことができませんでした。

どうする?どうする?

これでは山頂を目指すどころか、下山さえできません。

ハガレーナが「救助要請するしかないよ」と言います。

それは嫌だ、なんとか歩いてみる、とトライするのですが、やはり歩けない、、😭

かなり葛藤がありましたが、やはり無理だと思い、110番通報している場面です。

「事件ですか?事故ですか?」という問いかけに、「すみません、救助要請です」と答えなくてはいけませんでした。

電話をしたのは7時26分でした。

負傷してから45分間も、何とか自力で歩けないかと試行錯誤しましたが、救助要請せざるを得ないと自分に落とし込むのに、必要な時間でした。

そこからは妙高市の警察と救急が連携して動いてくれました。

GPSで現在地の緯度経度を知らせると共に、大体の位置を伝えました。

救急の電話口の方は妙高山の登山道をご存知のようで、どの辺りにいるか、大体わかってくださったようでした。

そこからどうやって私を救助するか検討して連絡をくださることになりました。

そのために私の体型なども聞かれ「体重までは言わなくていいです」と言われましたが、正直に身長と体重をお伝えしました。

その後警察から電話があり、二人の名前や住所、服装、ハガレーナの車のナンバー、携帯電話番号、バッテリーがあるかどうかなど詳しく聞かれました。


何度も越えようとトライし、結局越えられなかったわずかな段差。

登山を再開してからまもなく5年。

今まで山でケガをしてこなかったのがお気楽隊の唯一の取り柄でした。

自分の体力も運動能力も全く信じていない私ですから、転んだら大怪我になると思っていて、とにかく転ばないように、「臆病くらいがちょうどいい」を合言葉にやってきたのです。

それなのに、転倒したわけでも滑落したわけでもないのに、わずかに膝が左右に揺れただけで、まさか全く歩けなくなるなんて、、😭

情けないやら、悲しいやら、、😭😭😭

最近筋力と持久力がついてきたと調子に乗っていただけに、ショックが大きかったです。



救急からの連絡を待つ間、現在地を記録に残しておきました。

ケガをしていなければ、7時9分には次の分岐に着き、そこから胸つき八丁の登りに取り付くはずでした。


救助はヘリコプターで行われるとの連絡が入りました。

到着まで50分ほどかかるというので、ハガレーナが「ヘリコプターが降りれそうな場所を探してくる!」とこの場を離れることに。

「ごめんね~😆」と謝る私です。


私の頭の上にはこんな木が生い茂っていて、ヘリコプターからは見えないものと思われます。

この木のお陰で、待ち時間の間、ずっと涼しくいられたのですが。


この写真は偵察に行ったハガレーナが撮影したもの。

15分ほど歩いた先に分岐があったようです。


湯道分岐。

ここが7時9分に通過予定だった場所なのでしょうか?

ハガレーナが戻ってきました。

今座っている場所から少し行った所に上空が開けている場所があったので、そこにヘリコプターを寄越すのではないかとのこと。

「こんな木が沢山ある場所にそんな事できるのかな?」と言うと、「あの人たちプロだよ!どんな狭い所でも降りて、助けに来てくれるよ」と言ってくれました。

そんな会話をしながら、ショルダーバッグを膝に乗せて座っていると、あれ?私のバッグに何か付いてる?

初め、「あれ?私、バッグにこんなキーホルダーつけてたっけ?」と思いました。


え?何これ?何これ?

どういうこと!?

私は夢を見ているとしか思えないほど、可愛い過ぎるフォルムです。


何これ~?!!!

なんでイモムシの頭が黄色くてまん丸なの?

これは森の天使なのか!?


うそみたいな容姿のキュートなイモムシが私のバッグの上を這い登ってきました。

最初目にした時、ほんとに、「こんにちは~!」と顔を出したように見えましたよ。

これは嬉しすぎるゲスト登場です。

恥ずべき救助要請で、落ち込んでいる私を慰めるために、森の妖精がやってきたとしか思えませんでした。


この奇妙な来訪者にしばらく釘付けでした。

あちこち動き回って、次の場所へ三本×2の前足をモゾモゾと動かす様が何とも可愛らしく、その愛らしい姿をしばらく眺めていました。


はらぺこ青虫か、ニョッキか、といった風体ですが、「ハバチ」という名の蜂の幼虫なのだそうです。

後でヤマップで聞いて分かりました。

素敵なゲストさん、ありがとう。

この後のヘリのホバリングで吹き飛ばされたのではないかと少々心配ですが、、🤣


さぁ、ついにヘリコプターがやってきました。

新潟県警のヘリコプターです。

時刻は9時22分でした。


ハガレーナが先週まきじーのさんにもらったピンクのタオルを振り回して、「ここで~す、こっこ、こっこ~⤴️」と合図してくれました。

辺りはヘリコプターの爆風で木々が大きく渦巻いています。


私は大きな木の下でヘリを探しますが、なかなか見つかりません。

わずかに機体が見えました!


機体番号が見えます。

イタリアの友人がこの映像を見て、「世界最速ヘリコプターだよ」と教えてくれました。

新潟県警の飛行部隊のホームページを調べると、これは「JAO2NP」、愛称は「ゆきかぜ」であることが分かりました。


9時30分、レンジャーが降下してきました。

やはりハガレーナの予想通りの場所でした。

その後間も無く山岳救助の若者が私の側までやってきて、肩を借りて歩こうと努力しましたが、どうしても進むことができず、結局おんぶしてもらってヘリの下部に移動しました。

その間もヘリコプターのホバリングによる爆風で辺りは大音響と渦巻く木々の嵐でした。


私とあまり背丈の変わらない小柄な男性でした(体重は私の方が重そうでした😅)が、私を背負って坂道を下っていき、片手で私を背負ったままヘリと通信しているところです。

ヘリに向け「この場所で見えますか?」と聞いているようでした。


私はずり落ちないように必死にお兄さんの首につかまっています。


ヘリからワイヤーを下げる場所を確定させ、私にハーネスを取り付ける救助隊員。


ベストタイプのタンカ(?)に腕を通し、股の下を通してハーネスを装着してくれました。


寝転ぶ形でワイヤーの降下を待ちます。



ワイヤーが木の枝の間を通っていたので、枝がバサバサと二人の上に覆い被さりましたが、お兄さんが手で私の顔に当たらないようにしてくれました。


ようやく枝から解放されました!


どんどんヘリコプターが近づいてきました。


最後は目の前でヘリのプロペラが回っているようでした。

この後無事に機内に収容され、狭い機内に横たえられ、指先で酸素濃度を計りながら、次の目的地(どこかの公園)に飛行しました。

その際窓から覗いた景色の素晴らしいことと言ったら!

真っ青な空に少しずつ遠ざかる妙高山の勇姿が見えました。

あー、やっぱり今日はこちらの山で(お天気的に)正解だったんだ~、と思うと同時にハガレーナに申し訳ない気持ちになりました。

山頂に立ちたかった😭

そして、緑の田畑とその奥には青い日本海。

左膝以外に悪いところはどこもない元気な救助者なので、外の景色にかぶりつきたいようでしたが、そこはぐっと我慢して殊勝な顔をして横たわっておりました💦💦

ヘリはどこかの公園に着陸したようです。

ヘリが着くために練習を中断させられたサッカー少年たちが、大勢で見つめるなか、私は再びお兄さんにおんぶしてもらい、救急車に移動しました。

おんぶされるのなんて半世紀ぶりなので、お兄さんからずり落ちないようにつかまっているのもかなり大変でした。

もちろんおんぶしているお兄さんの方が10倍大変だったと思いますが😅

ほんと、申し訳ないです。

その後は救急車で色んな質問をされながら、病院に運ばれました。


その頃、一人での自力下山中のハガレーナの写真です。



ここは滝の上部ということなんでしょうか?

気持ちのよさそうな沢があったようです。


この道を歩いているとき、警察から連絡があり、、


私が運ばれた病院名を告げられたようです。


こんな滝の側を通るルートだったようです。


ハガレーナが北地獄ルートを歩いている頃、私は、、


こんな景色の中にいました。

レントゲン検査が終わり、骨に異常はない、多分靭帯損傷だと思うけどそれはMRIを撮らないとわからないし、今日は休みなのでそこまでする必要はない、自分(当直医)は整形の専門ではないので、自分の町に戻って専門医に診てもらった方が良い、、という診断でした。

ハガレーナが無事下山し、迎えに来てくれるのを、救急外来のベッドで待っているところです。


再びハガレーナの目線です。

北地獄ルートはサブルートどころか、めちゃくちゃ歩きやすい道だったらしいです。

登山者のほとんどがこちらのルートを選択していたようでした。

私たちが歩いたメインルートは歩く人が少ないから、道が荒れ気味だったんだね~😆


妙高山をポチっとな!


なんてこったい!

この歩きやすいサブルート!


黄金の湯は男風呂が丸見えで、外人さんのお尻を見てしまったとハガレーナが言っておりました🤣


燕温泉に戻ると、足湯まであったそうな。

天国やん!

サブルート!!


駐車場に戻ると、朝とは景色が一変していたそうです。

路駐の車まであったそうな。


ハガレーナが迎えに来てくれました。

ハガレーナ、何から何まで、ほんと、ありがとう。

そして、新潟県の警察、救急、病院のスタッフの皆さま、本当にお世話になりました。

とても優しくしていただきました。

何度も「迷惑かけてすみません💦」と謝りましたが、皆さん「大丈夫ですよ」と答えてくださいました。

新潟県に一円も税金を払ったことがないのに、申し訳ありません。

ふるさと納税したいと思いますので、お許しください😫


今回は途中撤退なので、登山難易度は表記しないでおきます。

また来ます。

というか、また来させてください。

今度こそ山頂からの大展望を楽しみ、自分の足で下山します。

私の足は全治3~4週間でしたので、8月いっぱい山は休まざるを得ないと思います。

雨飾山も金峰山も行けなくなりました。

それよりも一緒に行く予定だったメンバーに迷惑をかけることになりました。

本当にごめんなさい。

このところ、取り付かれたように、チャレンジ登山を続けていて、土曜日に山に登ると日曜日はほとんど起きていられないほど疲れているのに、特に体のケアをすることもなく過ごして来ましたから、体が悲鳴をあげたのだと思います。

筋肉が鍛えられても、膝の靭帯などを鍛えることなどできるはずもなく、少しずつ疲労が蓄積していたのでしょうね。

なので、あんな何でもない所で、少し体重移動させただけで、こんなことになってしまいました。


松葉杖がないと歩けないので、家で何もできないです。

長女に助けを求め、帰省してもらうことになりました。

先に骨折してリハビリ中のあきっこさんに、「株式会社  自分」と考えて、自分はその会社の社長だと思った方がいいとアドバイスいただきました。

『それそれ上体部、腕部、手部、足部の部署があって、そこにいる社員(組織)とかんがえるようになった😆😆

社員を教育して育てて、成果出たら褒めて労うじゃん😄😄』とのこと。

なるほど!

だったら私は今までただのパワハラ社長だったんだ!

社員をこき使って、無理難題を押し付けて、ちっとも誉めも労いもして来なかった💦💦💦

だから、靭帯部が正に『ぶちギレた』訳ですよ。

社内暴動を起こしたってことね。

もっと大きな事故やケガをする前に、痛み(体の痛みと(救急要請したことによる)精神的な痛み)を伴って、学びの機会を得ました。

どんなに気をつけていてもケガをすることはあり得るけど、それを減らす努力を山の中にいるときだけでなく、自宅でも行えるんだと、あきっこさんに教えてもらいました。

登山後のストレッチとマッサージ。

習慣にできるように頑張ります。


いつもブログを応援していただき、ありがとうございます。

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