【読書】ひこばえ(重松清)
こんにちは!
いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。
久しぶりの読書感想です。
今回は過去に「流星ワゴン」を読んだことがある重松清さんの新作です。
【ひこばえ(上・下)】重松清著(朝日新聞出版)
本庄早稲田の蔦屋書店で見つけ、いつものように帯を見て手に取りました。
昨年末に父を亡くしていることもあり、父の思い出をたどる旅に私も同行したいと思ったからです。
まぁまぁの厚さで上下巻、なかなか読みごたえがありそうです。
作者は重松清さんですから、号泣必須だろうなぁと思いつつ😅
歯車が動き出してからは一気読みでした。
《上巻表帯》
【これは「終わり」から始まった父子の物語】
四十八年間の空白をのこし、父は独りで逝った。
その足跡を、私はいま、たどり直す。
2002年『流星ワゴン』、
2008年『とんび』、そしてーーー
いままた父から息子へと受け継がれる名作が誕生した。
「朝日新聞好評連載、待望の刊行!」
《上巻裏帯》
「ひこばえ」とは、木の切り株から若い芽が生えてくること。
たとえ幹が倒れても、孫のような芽が生えるように、命は、親から子どもを経て、孫の代へと続く。
世間が万博に沸き返る1970年、洋一郎が小学校2年生の時に家を出て行った父親の記憶は淡い。郊外の小さな街で一人暮らしを続けたすえに亡くなった父親は、生前に1冊だけの「自分史」をのこそうとしていた。なぜ?誰に向けて?洋一郎は、父親の人生に向き合うことを決意したのだが、、、。
《下巻表帯》
【父から息子、孫へと受け継がれる物語】
「親が死んでからも、子どもには思い出が増えるんだ。いなくなってから出会うことだってできるんだ」
あなたは、私に会いたいと思っていたのだろうかーーー。
亡き父親に問いかけながら、父と子の空白を埋める旅は続く。
《下巻裏帯》
「これは終わりから始まった父子の物語。父親は最初から死んでいるけれど、物語の最後にひこばえのような何かが残れば、小説そのものがひこばえになると思う」ーーー重松清
老人ホームの施設長を務める洋一郎は、入居者たちの生き様を前に、この時代にうまく老いていくことの難しさを実感する。そして我が父親は、どんな父親になりたかったのだろう?父親の知人たちから拾い集めた記憶と、自身の内から甦る記憶に満たされる洋一郎は、父を巡る旅の終わりに、一つの決断をするーーー。
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これは参った。
明日山に行くというのに、泣きはらした私の目は、腫れぼったくひどいものでしょう(涙)
いやぁ、泣いた、泣いた、、お陰で花粉も全部流れましたよ😆
テーブルの上がティッシュの山になりました💦
主人公の洋一郎は、大阪万博の時に小学2年生。
ほぼ私と同じです。
しかも万博会場で迷子になり、時間が足りなくなって「太陽の塔」に入れなかったのも同じ😅
お風呂でタオルを使ってオナラを真似た父の思い出も重なります。
性別こそ違うものの、私と同じ世代を生きてきて、思い出を共有する「息子・洋一郎」が主人公です。
お金にだらしなく、ついに母と離婚してから一度も会うことのなかった父が亡くなったという報せを受けてから、物語は動き始めます。
それまで洋一郎の人生にほとんど存在しなかった父の、突然の死の報せ。
「父の死より、むしろ生のほうに気圧されていた。あのひとは東京にいたのか。夢にも思っていなかった。というより、あのひとのことなど考えたこともない。この十年、二十年、ずっと」
初めは迷惑としか思えなかった遺骨の引き取りや遺品の整理。
しかし父のカレンダーに自分と姉の誕生日の記しを見つけてから、洋一郎の心はかき乱されるようになっていきます。
「嘘だろ?何のために?」
あの人は日々何を見て、何を思い暮らしていたのか?
父にとって自分はどんな存在だったのか?
母や姉に会いたいと思っていたのだろうか?
決して自慢できる生きざまではないのに、自分史を残そうとしていたのはなぜなのか?
いつの時代にも母と娘の絆は強い。
それは理屈ではありません。
では父と息子の絆とは?
夫であり、父であり、おじいちゃんでもある洋一郎にひとつ足りなかった役割「息子」をやり直す旅が始まったのです。
物語と同時進行で語られる「老い」の現実。
人の生涯を寂しさの中で終わらせてはならない。
「人生の長い旅の、最後の最後に行き着く先が寂しさだなんて、悔しいじゃないですか。私は嫌です、誰にもそんなふうにはなってほしくありません」
主人公の言葉は作者の言葉でもあります。
重松清のまなざしはどこまでも温かく優しいのです。
涙腺崩壊します!
老いも若きも、是非読んでみてください!
今隣にいるその人に優しくなれるはず。
離れて暮らすあの人に、すぐに電話したくなる、、そんな物語でした。
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