50代からのお気楽山登り

これから山登りを始めようと思う方、ハードな山は無理だけど山歩きを楽しみたいという方に参考にして頂けたらと思います。山行記録と写真、行程図のイラスト、私なりの難易度を載せています。

【島根】巨木と城址と故郷の山。2020年12月20日

吉賀町椛谷(かばたに)の巨木前から、こんにちは。


いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。


今日も朝から良いお天気です。

父の面会は午後からなので、ちょっと散歩に出掛けましょう。

大岡山を挟んで反対側にある兄の家(私の生家)まで歩いて行こうと思います。

4㎞ほどのお散歩です。

国道187号を歩いていると、昨日立ち寄った「沢田の大杉」が見えていました。

やっぱり大きいよね~。

やはり巨木は遠くからでも分かるんだなと思い、その後は遠くを見渡しながら巨木探しです😁

見つからなかったですけどね。

これからは森(山)を眺める時、巨木がないかと探すようになりそうです😆

大岡山が見えてきました。

父の病院があるのはあの山の反対側。

大岡山の裾野をぐるっと回って歩いています。

ばぁばの実家がある広石地区。

ここから見る大岡山はなだらかで穏やかな印象ですね。

簡単に登れちゃいそうな気がします。

正面は兄が松茸取りに行って満ち迷いをした悪谷(わるだに)です。

あの壁の向こうに昨日訪れた高尻(たかじり)集落があります。

悪谷の右手、雪でうっすら白くなっているのは筑山(つきやま)です。

地区を分ける城壁のように見えますね。

沢田地区までやってくると、「大岡山登山口→」の看板が!

なんだ、やっぱり登山口(登山道)あるんじゃん!

あー、トレッキングシューズを持ち帰らなかったことが悔やまれます(涙)

大岡山なら午前中サクッと登って来れただろうに。

山に登れないので、せめて近くの展望台へ。

高津川を渡ります。

桜橋です。

私が子供の頃はプールなどなかったので、夏休みは毎日午後から川遊びでした。

時々この桜橋から川に降りて、浮き輪につかまりずーっと下まで流される遊びをしていたなぁと思い出します。

今の時代なら子供達だけでそんな遊びをさせるのは危険だ!と騒ぐ大人がいるでしょうが、当時は子供達だけで色んなことやってましたよね。

誰もケがなんてしませんでした。

ここは清流高津川です。

今でも夏にはホタルが飛び交うのですよ。

対岸に当時はなかった遊歩道が整備されています。

椿かな?山茶花かな?

展望台に登ってみましょう。

ここができた当初、父と一緒に歩いた記憶が甦ります。

下りで「石車に乗るなよ」と言われたことを覚えていて、今も山を歩いている時、「石車」という言葉を発する度に父の声が脳内再生されるんですよね。

標高差はほんの50~60Mというところでしょうか。

10分足らずで山頂に到着です。

大岡山と広石の集落が見渡せました。

下ると薮の向こうに東屋の屋根が見えたので進んでみると、こちらも広い平地になっていました。

かつては展望台だったのでしょうが、草木が生い茂り、何も見えません。

え?

ここって、城址だったんだ!!

知らんかった!

「五郎丸城」と書いてあります。

立戸下塚、重藤橋!

おお、私の遊び場がいっぱい出てくる😁

なるほど、ここは高津川が大きく蛇行する突端に位置していますから、見張りをする山城として最適な場所だったのでしょうね。

両側を川に囲まれ防衛にも優れていたものと思われます。

しかし最後は尾根伝いに攻め込まれ、五郎丸は入水して最期を迎えたとのこと。

五郎丸淵というのは、深くなっていて、中学生たちが飛び込んだりしていたところだろうなぁ。

この後兄と合流したので聞いたところ、津和野藩の出城だったらしいです。

敵の襲来を狼煙をたいて次の山城へ連絡する防衛拠点だったのですね。

私の先祖は津和野藩の馬廻り役(防衛隊長)だったので、ここ吉賀町はやはりゆかりの地だったってことなんですね。

藩滅亡の際にわずかばかりの土地をもらってこちらに越して来たのだと思います。

今立っているここは「二郭」ですね。

さっきの山頂は「一郭」。

確かに最後の登りが急斜面で、「まるで猪俣城址みたいだな」と心の片隅で感じたのでした。

五郎丸城の歌だそうです。

なるほど、雪の舞う風の強い夜に攻め込まれたんですね。

風雪の音で敵の足音がかきけされたとあります。

さぞや無念だったことでしょう。

そんな最後の城主上杉五郎丸に想いを馳せながら、次に目指すのは、立戸の大銀杏です。

お墓参りのついでに立ち寄りました。

私の地域の氏神様です。

秋祭りの時には、毎年この本殿の中で石見神楽が催されていました。

神楽が大好きな私は、祭りの夜だけは大人たちに雑ざって夜更けまで神楽を楽しんだものです。

おばあちゃんといつも一緒でした。

その時描いた神楽の絵がどうやらユニセフの何かに選ばれたらしいのですが、大きな賞すぎて、絵が手元に戻ってくることはありませんでした。

今でも神楽のあのお囃子が聞こえてくると、当時の映像が甦ります。

スサノウノミコトが鬼を退治する優雅で時にダイナミックな動きや、傷ついた鬼が面を震わせながら口惜しそうに幕の中に逃げ去る様子が大好きでした。

一番有名なのはヤマタノオロチですが、オロチが出てくるのは最後の演目なので、もう終わってしまうのかと寂しくなるので嫌いだったんですよね😅

話がだいぶそれましたね。

大銀杏を見に来たんでした。

男の子たちが野球をして遊んでいた境内です。

私たちも缶けりなどしたっけなぁ。

大銀杏は石の小さな鳥居の側に立っています。

この鳥居に下から石を投げて乗せてから家に帰るのが定番でした。

なかなか載らなくて苦労したけど、今見ると手が届きそうなほど小さな鳥居だったのですね😅

これが大銀杏です。

すっかり萎れちゃったねぇ。

私が子供の頃から随分な婆さんだと思っていましたが、いまやミイラのようになっています。

兄に聞くと今でも実もなるし葉っぱも生えるそうなんですけどね。

今日も巨木巡りをしようと思ったのは、「島根県の巨樹・巨木」に載っていた「吉賀町」の巨木をコンプリートしようと思ったからです。

(出典、、島根県の巨樹・巨木)

⏫こちらが吉賀町の巨木リストです。

この中のNo.117「一本杉」は昨年3月に帰省した際に子供達を連れて見に行きました。

https://okiraku.muragon.com/entry/120.html

⏫その時の記事です。

そして、No.121「沢田の大杉」は昨日見てきました。

No.119「しだれ桜」は六日市のばぁばの家の近くなので、朝の散歩で見に行きたいと思います。

なので、今日はNo.118とNo.120を!

No.118のこの大銀杏は樹齢650年(私が子供の頃から650年と言っているので、今や700年だと思いますが)、高さ20m、幅200cm、幹周6mです。

う~ん、そんなにあるかなぁ。

訳のわからない状態になっていて、他の木に取って代わられようとしている気がします。

昨日見た巨木たちとは比べ物にならないショボさです(涙)

上の方はもはや他の木ですよね。

高さ20mはあの木が稼いでいるのでは?😅

私が子供の頃から相当は婆なさんだったのですから、仕方ないですね。

何とか次の春にも緑色の葉が繁るといいなと思います。

頑張ってくれ、大銀杏!

墓参りを終え、次に兄と向かうのは、No.120の愛宕神社です。

とても美しい沢に沿って道を登って行きました。

おおお、水だ、水だ!

1時間以上歩いて汗をかいていたので、この水で喉を潤しました。

「愛宕神社の社叢」

社叢とは、神社の森の総称だそうです。

樹齢1000年の大杉、ケンポ梨、大栃、大桂などの巨木があると書いてあります。

「ケンポ梨」なんて初めて聞きました。

実を支える枝から梨の香りがするんですね。

6~7月薄緑色の小さな花をつけると書いてあります。

これがそうなのね。

樹齢250年です。

この辺りにはない木で、誰が植えたのか謎なのだと兄が言っていました。

樹齢1000年の大杉(No.120)は、愛宕神社の階段脇にあります。

階段を登りましょう。

さすが樹齢1000年!

見事な巨木ですね。

足元は石階段を持ち上げて破壊し始めていますよ。

この木肌も素晴らしいですね。

1000年間もここで人々の暮らしを見つめて来たのですから、森の賢者の風格を備えるのは至極当然なことでしょう。

おおお、これもなかなかに大きいですね!

これはとちのきですね。

なるほど、これが「大楠」ですね。

愛宕神社の境内まで登って来ました。

二拝二拍手一拝。

私の実家は神道なので、この辺は古式にのっとって。

では帰りましょうか。

石の階段がでこぼこしているので、グラグラモタモタ下りました😅

下り途中、私と大きさ比べしておきました😁

私は全身ばぁばの諸々を借りているので、婆さん感が増しております💦

大きいね~⤴️

高さは40m、幅207cm、幹周4.5mです。

巨木巡り、楽しいね!

さぁ、このパワーを父に届けましょう😊


いつも応援いただき、ありがとうございます。


おまけ、、

埼玉の自宅でペットの世話をしてくれている次女が奴らの写真を送ってくれました!

3日で私を諦めたひま。

ちょっと寂しそう??

仲良しなシータとモモタ。

一番手がかかる野良猫出身ロクタ。

あ~、みんなに会いたくなっちゃった😆

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