【新潟、魚沼】民宿「才七」での二日間。マタギ講習会開催しました😁2020年8月8日(土)~10日(月)
マタギの大将が経営する民宿「才七」から、こんにちは。
いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。
花子家族と共に訪れた新潟の旅。
浅草岳登山を終え、麓の民宿「才七」にやってきました。
社交的で気さくな女将さんと、優しそうなご主人が温かく迎えてくださいました。
お風呂で汗を流し、スイカをいただき、浴衣姿での楽しみな夕食になります。
一泊二食で7000円なのですが、プラス1000円で食事を豪華にして欲しいのお願いしていたそうです。
夕食は地元の山菜やキノコを使った田舎料理でした。
彩りは地味ですが、どれもこれもとても美味しくビールのあてに最高でした。
今日の宿泊は男性4名、女性3名としか伝えてなかったので、まさか14歳のお子さまがいるとは思っていなかったらしく、大人好みのメニューでした。
てっちゃんが食べられたのは鮎の塩焼きと、白いご飯(これが最高に美味でした!新潟の雪蔵米。大ファンになりました!)、、、そして、こちら!
なんと!
熊汁です!
初めて食べましたが、すごい旨味とコクで、臭みもなくとても美味しいです。
しかし食べすぎると鼻血が出るんじゃないかと思うくらいこっくりしていてカロリーが凄そうで、女性陣は胸がいっぱいでお代わりは出来ませんでした。
熊汁と現地の日本酒でいい笑顔です。
山の思い出話やマタギの話で盛り上がりました。
父上が最近マタギの里として知られる秋田の阿仁を旅して、私も大好きな熊谷達也の「邂逅の森」を読み始めているらしく、明日は民宿のご主人に熊狩りの話を聞こうということになりました。
田中ようきさんや、今井道子さんも訪れているようです。
ロビーには熊の敷物(女将さんが持ってきてくれました)や、かつて熊狩りに使われた槍などが飾ってありました。
守門岳に登る予定だったので、翌朝5時に朝ごはんを用意してもらいました。
白いご飯がとにかく美味しくて、お代わりしちゃいましたよ😁
外は雨が激しく降っています。
歩き始めてから降りだすならまだしも、初めからカッパを着て歩き出すのは嫌だということになり、今日と明日の予定を交換することに。
明日の晴れ予報を信じて、2日目は観光に出かけることにしました。
観光から戻ってきて、二日目の夕食です。
(観光の様子は後でまとめます)
今夜は14歳の少年向けのハンバーグと夏野菜グラタンがメインディッシュでした😁
そして、今日は宿の大将にマタギの話をしてもらう気満々です。
大将が使用している銃と散弾銃の玉を見せてくれました。
以下、マタギ猟の際の親分(メアテ)でもある宿の大将に聞いた話をまとめます。
私は予め用意したメモ帳に必死でメモったのですが、取り留めもなく質問をして話があちこちなったので、うまくまとめられません💦
仕方ないので、メモの順に箇条書きにします。
《民宿「才七」のご主人インタビュー》
・ライフルの到達距離は300m、散弾銃は50~60m。
・熊に命中させられるかどうかはどれだけ近づけるかが勝負。
距離は5~10m以内で狙い撃つ。
・狙うのはあばら骨3段目の肩口(心臓)。
・心臓を外すと谷に転がり落ちることもあり、そうなると回収に苦労する。
・撃ち手に選ばれることは大変な名誉。
だからこそ撃ち損じると地獄😣
・大将はマタギ歴45年。
・秋田(阿仁マタギ)に修行に行ったと聞いたがという質問に対して、知り合いがいるだけで秋田のマタギとはやり方が異なり、この里オリジナルの手法を使う。
・秋田は雪が少ないので熊穴を探して狩るが、新潟は豪雪地帯(5m以上の積雪量)なので穴を見つけることは不可能。
そのため穴から出てきた熊を探して撃つ。
・熊を見つけるまでは全員で山の中を歩き双眼鏡を使って熊を探す。
・初めに熊を発見した人は大手柄。
・熊は穴の横に寝ていたり、穴から鼻だけ出していたり、木に登っていたりする。
・熊が見つかると、山全体を見渡せる場所に親分(メアテ)が立ち、トランシーバーや声を出して追いたて役(勢子)に指示する。
・予め決めておいた鉄砲場に勢子が追い込んで行く。
・鉄砲場には撃ち手に選ばれた人が一人で待機している。
・万が一撃ち損じると、一生どころか二生言われつづける。「お前んところのオヤジは撃ち損じたんだよなぁ」といった具合に。
撃ち損じた人は二度と狩りに参加することは許されない。
・狩りが終わると雪崩に合わないように親分が指示しながら下山する。
山の地形は全て頭に入っている。
山を知らなければ親分になることはできない。
・雪崩は午後に起きやすい。
午前11時前なら雪崩は起きないので、それまでに狩りを終わらせる。
・狩は4月20日から5月20日までの1ヶ月間で、予め頭数を決めておく。
大体5~6頭。
・山に入る日は晴天の日。
・冬眠から覚め穴から出てきたところを狙う。
一度でも何かを食べた後では胆汁が減ってしまい、良い熊の胃を手に入れることができない。
・熊の好物は、ネマガリダケ、水芭蕉の白い部分、アケビの芽、ブナの実、ミズナラ(どんぐり)、くるみ、ぶどう、雪崩で死んだカモシカの死骸。
その後食後に昭和59年に制作されたビデオを見させていただきました。
あまりお披露目することがないのか、機械の使い方がわからなかったり、動き出してもディスクは傷だらけで、いいところで止まったり飛んだりしていましたが😅
《熊狩の記録(昭和59年)》
・大白川入広瀬には当時100戸400人の人々が居住し、山の恵みを受け「山菜共和国」と銘打ち共同体として助け合って生活していた。
・10月半ばになると周囲の山は一斉に色づき、春の熊狩りの準備が始まる。
・まずは小屋がけ。
山の中に前線基地として寝泊まりするための「しし小屋(熊のことをししと呼ぶ)」を作る。
・しし小屋は4間×2間半の大きさ。
丸太を組み、茅で外側を覆う。
茅は上へ上へとふき上げ、最後に棟の部分を仕上げる。
・秋に村の男たちで作ったしし小屋は春の雪解けと共に姿をあらわす。
・村人は共同体意識が強く、山の神信仰がいきづいている。
・2月11日、各家から絵馬と弓矢を十二山の神に奉納し、その後子供達がその弓矢を持ち去り川に射て遊ぶ。
そうして狩猟を生業としてきた地域の伝統を受け継ぐ。
・過去には12月12日、3月12日(現在は2月12日)に酒と肴を持ちより、豊猟を願って酒宴を催す。
・狩りの出発前には雑穀の粉と山ごぼうの花で草餅を作る。
狩りの間、まともな食事は朝と夜の二食で、草餅は昼の行動食となる。
・出発前夜、守門大明神に宵籠りし、山大将、脇大将を中心に安全と豊猟を祈願する。
・熊狩りにはその年死亡者を出した家、お産があった家の者は参加できない。
・宵籠りはろうそく一本を灯し、その火が消えるまでの間と決まっている。
役割分担、熊追いのルートなど決める作戦会議である。
・熊狩りの時期は山に雪が積もっているのでどこでも歩くことができる。
予め決められた狩猟場へ。
・出発前には「いくさかけ」という儀式を行う。
各家に伝わる絵馬を和紙に押し、その和紙を集めてほうの木で作った「まつり木」にくくりつけることで、絵馬が神となる。
またそれにより山に入った人数を知ることができる。
・山に入った後は、全て「おきな」の指示に従わねばならない。
また里言葉は使ってはならず、山言葉・しし言葉で会話する。
・「しし小屋」では新参ものが入口近く、位の高い人ほど奥に陣取る。
会話に「死こと」「仏こと」「お産こと」は禁句である。
・かなかんじきを付け、熊の居場所を確認してから、それぞれの持ち場に移動する。
・勢子(せこ)は山の下へ、撃ち手は山の上へ。
「めあて」は全てを見渡せる場所で指示を出す。
(ビデオでは「鉄砲2発撃てーーっ!」と叫んでいました)
・熊を射止めると、足の親指の隅から切り開き、肉、臓物を取り出し、腸に血液体液などを入れる。
・狩った熊はもう熊ではなく「たいまい」と呼ばれる。
たいまいを背にして、「たいまい取ったどーーーっ!」と声を出しながら村へ帰る。
・村へ帰ると山の神にお参りし、酢味噌和えやすい臓、やごりなどを奉納し、その一部を食す。
・一年に4~5頭と決まっている。
・かわげたに皮を開いて乾燥させ、皮についた肉や脂肪を竹べらで何度も削り取り自然に干す。
・「熊のい」は乾燥させ、初めは平均75gだったものが1/4になる。
6月5日に各人に細かく刻んで重さを計り分配される。
凄い、凄い、凄い!!
私はなぜにマタギに惹かれるのだろう?
また「邂逅の森」を読みたくなりましたよ。
ビデオで実際の熊追いを目にし、白い雪の斜面を転がり落ちる熊の姿や、勢子の数メートル脇を走り抜ける様子を臨場感を持って見ることができました。
そして、見た目にはとても勇壮なマタギの大将には見えない宿のオヤジさんから、現在の熊狩りの話を聞くこともでき、夢のような時間でした。
その後は父上の過去の山の記録を見せてもらい、勝ドンの初登山の様子や、小学生の花子が山でブーたれていた話など、沢山の思い出話に花が咲きました。
Tおじは私にとってのターボのような存在で、父上の山行の8割に同行しているのだそうです。
「ツー」と言えば「カー」の大事な相棒なんですね。
父上の山毎にまとめたリストを見て、私の時系列のブログをいつの日か山や地域毎にまとめて、自分たちの成長(或いは衰退)、つまりお気楽隊の歴史をまとめられたらいいなと思いました。
父上、Tおじ、沢山の刺激をありがとうございました!!
翌朝5時の朝食です。
女将さんのお料理は全てとても美味しかったです。
お昼用に雪蔵米の大きなおにぎり2つもいただきました。
なかなか味のある民宿「才七」前にて記念撮影です。
一番右端がお料理上手で気さくな女将さん、その横にいる小さなおじさんが宿の大将、つまりマタギの親分です。
イメージと相容れないでしょ?(笑)
民宿「才七」、コロナ対策しているか否かでいったら後者ですが、いつも窓も扉も開け放っていて(網戸すらしていない)、通気性バッチリですし、きっと山の神が守ってくれています😁
こんな所にコロナは似つかわしくない❗
本当に温かく楽しいお宿でした。
ありがとうございました!
この後観光の様子、そして守門岳登山をぼちぼちまとめます。
引き続きよろしくお願いします🙇⤵️