50代からのお気楽山登り

これから山登りを始めようと思う方、ハードな山は無理だけど山歩きを楽しみたいという方に参考にして頂けたらと思います。山行記録と写真、行程図のイラスト、私なりの難易度を載せています。

【埼玉、寄居町】朝のひま散歩。2020年6月8日(月)

ひまの散歩道から、ハッピーと一緒におはようございます。


いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。


昨日寄居町用土にある比例円筒分水堰や、円良田湖の取水棟を見に行ったのですが、その事を夫に話したところ、「その分水堰から出た水はどこに行ってるの?」と聞かれ、「え?どこにって、田んぼでしょう」と答えると、「そこから水路がのびてんの?」と重ねて聞かれ、「ん?それはどうだったろう?確認してない!」となったのです。

私としたことが、とんだ失態です😣

円筒分水堰から吹き出す水ばかりに注意がいって、そこから出た水が敷地外のどこに向かうのか確認することを思いつきませんでした。

これは確認しなくてはいけません!

ということで、今朝はひまと一緒に円筒分水堰を見に行きます。

現地に向かう途中で、今まで何度も横を通っているこの水利施設に立ち寄りました。

今日もゴーゴーと大きな音をたてて水が流れています。

今までこの水がどこから来ているかなんて、何の関心もなかったのですが😅

中を覗いてみると、流れているというよりは、大量の水が涌き出ていると言った感じです。

おおお、これは正にあの分水堰から来ている水路なんじゃないですか!?

この量ですから、絶対そうです。

堰から溢れてくる場所にプラスチックパイプを立て掛けて、

すぐ側の田んぼに分水していました。

中の構造はどうなっているのかというと、写真では上手く撮れませんでしたが、前と横に二つトンネルがあり、ドゥドゥと水が送られていました。

分水堰から二手に送り出された水をここでまた二手に分けているのですね。

分水堰の側に来ると、水が勢い良く流れ下る細い水路があったので、「おっ!これが送り出しの最初か!?」と思いましたが、

上流を見ると、分水堰の横を通り、さらに上へと繋がっていて、これは分水堰からの水ではないことが分かりました。

え?ってことは、この水はどこから来てる?

また謎が生まれてしまった😣

(謎その1)

でも今日はとりあえず分水堰からどこに送り出されているのか、、それに集中しましょう。

辺りを見回しても、それらしき水路はありませんでした。

多分地下トンネルなんですね。

今朝も比例円筒分水堰は元気に活動中です。

大きな吹き出しから次の大きな吹き出しまで数を数えてみました。

15~30秒の間に二回ほど大きな波が訪れ、一度吹き上がると何回か続けることもあります。

要するに規則性はないということです。

全くタイミングを計れませんから😣

かなりの回数連写してもなかなかドでかい噴水を写真に納められません😅

そうそう、昨日撮り忘れた名盤です。

排出口は三ヶ所あるのに、一ヶ所使われてないので、どうやってそちらに流れないようにしているのかと思って観察すると、

そちら方面に流れ出た水はコンクリートで新たにつけられた道を通って東側へ合流する仕掛けになっていました。

コンクリート製の仕掛けがあるということは、かつて南側に送られていた水路は今は使われなくなったということなのでしょうね。

どこに向かっていたのでしょうね?

(謎その2)

生前のじぃじぃ(夫の父)なら詳しかったろうになぁ。→→翌朝また観察に行った際に南方向にも送り出されていた事が分かりました!

詳しくは翌日の記事に書きます💦

本日最大のパフォーマンスはこちら。

連写で500枚くらい撮影したけど、連写をやめた途端に大きな波がやって来て、あちゃぁとなりました(涙)

タイミング悪過ぎ⤵️

吹き出した後のザババーーーッとなる様子も結構好きです😁

ではでは、ここからもうひとつの水路がどこに顔を出しているのか、探しに行きましょう。

こちらは下の谷津池。

ちなみに鐘撞堂山の登山口がある池も谷津池というのですが、この辺りは溜池を全て谷津池と呼ぶらしいです。

紛らわしい😣

なので夫と話していても「あの谷津池の東の、、」などと話してもそれぞれ思い描いている池が違ったりすることがしばしばです😅

この下の谷津池にはまだまだ水がたんまり貯まっていますが、ここに水が流れ込んでいるような雰囲気はないですね。

湖面が鏡ようにさざ波ひとつたたずピタッと止まっています。

そして、こちらは上の谷津池です。

カラッカラですね。

横の道を登ってみましょう。

水が干上がり、放水斜面の構造がむき出しになっています。

ウォーリーやひまと藪こぎした時ここを通っていますが、あの頃はとても美しかった池の護岸が現れて寂しい雰囲気になっていました。

下の溜池下部に行ってみると、この溜池が造られた記念碑が立っていました。

逆光で詠みにくいですが、

・着工 大正4年9月3日

・竣工 大正5年4月5日

と読めます。

続いて池の名前とその面積が記されていますが、面積はちょっと判別が厳しい💦

名前だけ分かりました。

字南谷津、字北谷津、字琵琶ノ入、、、一体どこのことなのだろう?

今いる場所は北谷津なんですかね?

それと、琵琶ノ入って一体どこ?

(謎その3)

半鐘と何か看板があります。

日に焼けてほとんど真っ白になっていましたが、目を凝らすと何とか読めました。

何?何?

「この北谷津沼は、(おっ!やはり北谷津なんだね!)用土地区の水田に用水を供給しているもので、大正5年に築造のため老朽化し大雨の度避難命令が出ていました。完成後は200年に1度の大洪水でも安全な溜め池に改修されます」

ん?改修されます!?

これ、改修中の看板なんだね。

「200年に一度の大洪水でも安全な」とか、こういう看板ではなかなか見ない表現ですね😅

今の世では、そんなこと誰が保証しとんねん!って話になっちゃいますが。

なるほど、大雨の度に避難命令ですから、あの半鐘が打ち鳴らされる事が度々あったのでしょうね。

横に描かれたイメージ図にびっくり👀

円良田湖からの水は円筒分水堰だけでなく、やはりこの溜め池にも送られているんだ!

鐘撞堂山の地下を通ったトンネルが途中で二手に分かれるんですね!

田植えのシーズンは円筒分水堰からの水がメインなので、北谷津池への配水は止められ、あのように水位が下がった状態になっているのでしょう。

いや、だとしたらなぜ下の池にはあんなに水がたんまりあるんですかね?

一旦下の池に全部水を流しておいて、あそこからも水田に排水されているってことなのでしょうか?

う~ん、わからん😵🌀

(謎その4)

水路がほとんど地下なので、ちっとも辿れないのです😣

それに、円良田湖からのトンネルが円筒分水堰とこの北谷津池だけに送られているのか?というと、それは不明ですよね。

一体あの巨大トンネルは鐘撞堂山の地下でいくつに分かれているのでしょう?

(謎その5)

とは言え、円筒分水堰から二方向に送り出された水の一方がどこに繋がっているか分からなくて、もしかしてこの北谷津池に流れ込んでいるのか?という可能性も考えていましたが、さっきの水路図でそれはない事が分かりましたから、一歩前進です。

あの分水堰よりも北側に東側のそれと同じような水利施設があるのではないかと、あちこち歩き回ってみましたが、そんな施設は見当たりません。

今は水がゴゥゴウ流れているはずなので、音が聞こえるかと耳をすましてみても、近くの細い水路をサラサラと流れる控えめな水音が聞こえるだけです。

いやぁ、困った!

もう一方の出口が見つからない!

そうだ、ウォーリーに聞いてみよう🎵

彼女は生まれも育ちもこの地域で、農家の親戚もいるので何か知っているかもしれません!

早速自宅に行ってみると、ハッピーがいません。

おっ、散歩中か!と思い電話をすると、「今美里を歩いてるんだけど、ハッピーが水路の水にコーフンしちゃって、引っ張り回されてるんだよ💦」とのこと。

今戻っているところだというので、私とひまもそちらに向かい合流しました。

事情を説明して、私の疑問をぶつけてみると、「きっとひとつはローソンの所で、もうひとつはその手前の陶芸の家の側の水路だと思うよ。一緒に確認してみよう」ということに。

これが陶芸家の側の水路です。

なるほど、これはきっと二手に分かれたあの小さなコンクリート製の分配施設から真っ直ぐに来ているルートだ!

ここから真っ直ぐゆるい傾斜の先にあの水利施設がありますから。

う~ん、これは分水堰から北に排出されるルートではないですね。

水路を見つける度に覗いていると、いっちょまえにハッピーも「どれ?どれ?」と覗き込みます😁

水路が大好きらしいのです。

そしてこれが仙元前ローソンの側を流れる水路です。

ハッピーが観察中😁

トンネルから激しく吹き出す様を飽きることなく眺めるハッピー😊

この水路は先で真っ直ぐと右手とに二手に分かれています。

どうやら武蔵野方面へも用水を運んでいるようです。

真っ直ぐ進む用土の田んぼを潤すこの水路は「藤治川」と呼ばれているのだそうです。

このずっと先の水路で、私はロクタ(猫)を拾ったのでした。

結局この分水堰の北側(私がカメラを構えている足元)に流れ出た大量の用水が一体どこに向かっているのか、今日の時点では判明しませんでした。 (謎その6)

ウォーリーと話して、方向から言っても多分美里に送られているのではないかと推理しています。

ハッピーと散歩しているとき、すごい勢いで水が流れていたらしいですし、美里の友人トシちゃんも「お母さんが美里の水は円良田から来てると言ってたよ」と教えてくれましたし。

そんな美里のトンネルの出口を確認しに行きたいと思います。

まだまだ謎だらけの水路めぐりです。

謎を解くと更に謎が深まる的な?😅

自分としてはなかなか面白いです😊

朝の散歩に謎解き要素が加わるのは楽しいですから😁


いつも変な散歩にお付き合いいただき、ありがとうございます。


その後こんな地図を寄居町ホームページで発見しました!

その名も【寄居町溜め池マップ!】

これで、琵琶ノ入は判明しましたね!

鉄塔探しで行った関越道の近くにあるようです。

ついでに「美里町の池マップ」も見つけました。

ターボとウォーリーと一緒にゴルフ場の側を藪こぎした時に通った池は「桐ケ谷池」というのですね。

確かに桐の花が沢山落ちていました。

一昨日ひまと歩いた美里の池は「普門寺池」というみたいです。

今度ひまと一緒に歩いて来れる範囲の溜め池めぐりしてみよううかな?😁

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