50代からのお気楽山登り

これから山登りを始めようと思う方、ハードな山は無理だけど山歩きを楽しみたいという方に参考にして頂けたらと思います。山行記録と写真、行程図のイラスト、私なりの難易度を載せています。

【埼玉、嵐山町】2020年5月《特別休暇50日目》

嵐山町、杉山城趾から、こんにちは!

(嵐山町役場にあった航空写真です)


いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。


緊急事態宣言発令から、出勤停止となり特別休暇を1ヶ月以上過ごしてきましたが、来週(6月1日)からいよいよ仕事復帰します。

残りわずかとなった休暇なので、少し遠出をして嵐山町までやってきました。

杉山城趾という国指定遺跡があると聞いたからです。

この休暇中に県をまたいだ移動を制限されたことにより、地元の山歩きをし、更に自粛が厳しくなり始めてからは、人のいない山だけに脚しげく通いました。

その過程で知った寄居町周辺の城趾の存在。

そのほとんどが今は忘れ去られたような暗い藪の中でした。

猪股城趾、花園城趾、花園御嶽城趾、虎ケ岡城趾(円良田城趾)、金尾山城趾(要害山城趾)、金鑽御嶽城趾、天神山城趾と巡り、

こんな本を購入して、山城の勉強をしたりもしました。

それらの山城は、もちろん標識もありませんし、藪また藪ですし、堀が埋もれていたり、樹木が繁って曲輪かどうかもわからないような状態の薄暗い場所が多く、正に「忘れられた山城」でした。

しかし、今回訪れる杉山城趾は、今まで歩いた山城群とは全く異なります。

ちゃんと陽の当たる、管理の行き届いた城趾のようなのです。(鉢形城趾もそうですが)

パンフレットには、「築城の教科書」「戦国期城郭の最高傑作」であると書いてありました。

さぁ、どんな山城が私たちを迎えてくれるのでしょうか?

ワクワクしながら、ターボと一緒に、いざ出陣です(あ、いや、登城か)😁


☘️5月27日(水)

~ 正に築城の教科書!その見事な遺構に感動しっぱなしの巻 ~

⏫ヤマップデータです。

市野川側が断崖絶壁である地形が良く分かりますね。

自然の城壁です。

鉢形城と同じ理屈ですね。

杉山城趾に行く前に嵐山町役場に立ち寄りました。

私がトイレをお借りしたかったのが目的だったのですが、役場に入ってみると杉山城趾の情報が溢れていました。

まず真っ先に目に入ってくるのが、玄関ホールのこの衛星写真の床です。

これ絶対、嵐山町民なら自分の家を探しちゃいますよね!😁

城趾は嵐山町役場のすぐ裏側なので、その場所を確認しながら、「この航空写真すごいね~⤴️」と話していたら、たまたま通りかかった役場の職員さんに「これは衛星写真なんだよ」と教えていただきました。

一瞬、焼豚が重ねてあるように見えますが😅

玄関ホールには杉山城趾関連のコーナーが設置されていて、こんなジオラマもありました!

すごいですね~⤴️

鉢形城趾には資料館がありますから、そこにジオラマがあると聞いていますがまだ行ったのことがないので、これは近々訪問しないとだな!と、杉山城趾のジオラマを見て思いました。

今日は縄張り図を描いて来なかったのですが、その必要はありませんでした!

こんな立派なパンフレットがあり、

こんな縄張り図がちゃ~んと載っていたのです😊

役場に立ち寄って良かったわ~。

私の軟弱なお腹事情もたまには役に立つことがあるんだな😅

なので、今日は写真の撮影ナンバーはこの縄張り図に記入して行こうと思います。

先日美里町の鉄塔巡りをした時に、その送電線がどこを旅しているのか確認するためにヤマップ画面をスクロールしていて偶然目にした場所にやって来ました!

現在地(駐車場)は青い丸ポチです。

この辺りも鉄塔天国なので、この近くに送電線が張り巡らされているのです。

ここは私にとって、一粒で二度美味しい場所ってことですね😁

城趾見学者のための土の駐車場があり、その隅に案内板がありました。

どうやら中学校の敷地内を通って行くようですよ。

玉ノ岡中学校の門の右手に道があるので、そちらに行きかけましたが、標識が門の中に誘導していました。

ホントに敷地内に入ってもいいの?と思いながら恐る恐る門の中へ。

校内は授業中のようで静まりかえっていましたが、教室の窓から授業を受けるマスク姿の子供たちが見え、一人と目が合いました💦

ここは県自然環境保全地域だそうです。

現在地が赤い丸で記されています。

そこからほんのわずか登ると、

《写真No.1》

すぐに広い場所になりました。

「出郭」です。

分かりやすい案内板もありました!

さっきの駐車場の存在や、案内表示でも感じてはいましたが、この案内板を見て「これは今まで歩いて来た城趾とは訳が違うぞ!」と思い、衝撃を受けました。

鉢形城趾とは違って、この場所を資料館のようにしているのです。(資料館がないのかもしれないなとこの時は思いましたが、後で調べると嵐山町の史跡博物館というのがあるようです)

中学校がすぐ側にありますので、中学生を意識したものではないかと思いました。

子供たちの青空勉強会に使われていそうですよね。

freeWi-Fiまでありますよ🎵

説明板によると、この杉山城趾は、

『傾斜が急な切岸、各郭にめぐらされた横堀と屏風のように連続する折れ、さまざまな形態の虎口など複雑に組み合わされていて、高度な築城技術の粋を集めたこの城は、実戦のための城としての風格をもち、戦国期山城の最高傑作と高い評価をえています』とあります。

う~わ、楽しみだわ~⤴️

『まだ城趾の発掘調査が完了していないため、現在保存整備計画も同時に計画中です。新たな発見、整備にご期待下さい』ですって!

いゃ、こりゃすごいですね!

嵐山町教育委員会の並々ならぬ決意を感じます😊

寄居町の花園城趾だって、整備すればきっと素晴らしい遺構が発見されるはずなのに、、。

寄居町教育委員会、頑張ってほしいなぁ(涙)

鉢形城趾があるからいいやってなってるんですかね?

花園城趾には鉢形城趾とはまた違った支城としての魅力が満載なんだけどなぁ。

いや、ごめんなさい。

話がそれました。

今日は杉山城趾に集中しましょう。

おや、説明板の横にこんなものが!

役場に寄らなくてもちゃんとパンフレットが手に入るようになってた!

すごい!至れり尽くせりとはこのことですよ。

そして、驚いたのは、それぞれの場所にこんな案内板が設置されていたことです。

鉢形城趾のカッコつけた(お金もかけた)標識とは違って手作り感満載ですが、すごく分かりやすいですよ😃

こういうのがあると、城趾めぐりしていても、当時の様子を想像する助けになりますから、私たちが求めていたものズバリです。

またまた至れり尽くせり⤴️

【出郭】の説明です。

『この標識の所に堀が掘られていて、大手には直接侵入できないような工夫がされていた』とあります。

《No.2》

こんな標識もあります。

正面が大手口。

真っ直ぐ進むと「外郭」、左へあるのが「馬出し郭」です。

【大手口】の説明板です。

『左側へ細い通路を登ると外郭に入れますが、正面は高い土塁が立ちはだかっており、左側は深い空堀がL字形にめぐって、左方からの横矢掛かりが仕掛けられています。また防御だけでなく城内から反撃に転じることも想定して、右側にある二重の土塁奥の空堀道と、その右方にある馬出しに伏兵をひそませておくことができるようになっています』とあり、そのイメージ図まで描かれています。

分かりやすい~⤴️

こういうのを求めていたのよと、ターボと二人嬉しくて仕方ありません。

『横矢掛かりとは?』『虎口や土塁に近づく敵を横から矢で射るために設けられた工夫で、郭の塁線を突出させることで死角を無くすことができます』とも。

これが左側の深いL字形の空堀です。

あのこぶのような場所が横矢掛かりを仕掛けるポイント。

こちらが右手の二重の空堀です。

説明を読みながら周囲を見回すと、すごく分かりやすいです。

ボランティアの皆さんの活動のお陰で杉山城趾の景観が守られているようです。

中学生の活動の様子も納められています。

こんな風に城趾を守る活動をしていたら、この町への愛着が育まれることでしょうね。

《No.3》

「外郭」の土塁のこぶ(突出している)に立ちました。

横矢掛かりの仕掛けです。

そこから右手を見たところです。

「外郭」の切岸です。

この堀を伝って侵入してくる敵をここから弓矢で射たのでしょう。

「外郭」の南には「馬出し郭」があります。

そしてこれは【外郭 馬出郭口】の説明です。

『外郭から南三の郭へ向かうには、馬出郭と呼ばれる平地を通りますが、ここに空堀がありますので、本来は木橋を架けて渡らなければなりません。この木橋は敵の侵入に際しては、すぐに切り落とせるように簡易なものだったはずです。この橋にも斜め上の南三の郭側からの強力な横矢が仕掛けられています』

木橋のイメージ図までありますよ!

《No.4》

外郭から馬出し郭方向を見たところです。

目を細めると、足元の堀に架けられていた木橋が見えてくるようですよね。

木橋周辺を横矢で狙う「南三の郭」の土塁の出っ張りです。

【外郭】の説明です。

『外郭は大手口の内側を守る郭です。四角い二つの空間が二つ連なっていますが、一方は南三の郭方面へ、もう一方は、南二の郭下を通って本郭や東二の郭方面へと通じています。南二の郭、三の郭側の塁線は屏風をたてかけたように折れ曲がって聳えています。これを屏風折と呼びます』

これが屏風折です。

確かにジグザグなって屏風のように見えますね!

(写真だと分かりにくいかも💦)

《No.5》

この写真なら少し分かるかなぁ?

「外郭」の東側は崩れた場所があり、ブルーシートで覆われていました。


《No.6》少し進んで振り返って見たところです。

ここは【外郭 帯郭状土塁】です。

『外郭の北西角から延びて南二の郭の東側の裾へ向かう幅の広い土塁があります。内側に空堀があり、先端は竪堀に突き当たり行き止まりですが、上に上がれば本郭へと通じる帯郭へとつながります。

ここは、城の東側から入り込む谷に面しており、斜面の高低差が大きいところです。

一段低い切岸下にも、平行する横堀と土塁があります。東二の郭、三の郭とともに谷をはさみ、本郭の防御を固める機能を果たすとともに、城内部の連絡通路としても重要な役割を担っています』

その連絡通路を歩きます。

真ん中にタケノコが顔を出していて、ターボがつまずきましたから、要注意です。

《No.7》

東側の谷をその通路から眺めてみました。

整備途中といった感じですね。

南二の郭へ登ってみます。

広い「南二の郭」です。

入って来たのは【南二の郭 東虎ノ口】でした。

『この虎口から一段下がりますと、馬出し状の小さな平坦面(虎口受けといいます)があります。その虎口受けからはおそらく木橋が架けられ、本郭東側の帯状の土塁(帯郭)とつながっていたと考えられます』

なに、なに?そうなのか!?

振り返って見ると、

《No.8》

なるほどあそこ(ロープが張られている場所)が馬出状の虎口受けか!

その虎口受けから堀を挟んで正面の帯郭(現在も通路になっている)に木橋が架けられていたって訳ね!

いやぁ、説明が丁寧でとても分かりやすいですよね✨

今「南二の郭」にいます。

ひとつ前の写真の馬出しから帯郭を行けば本郭に行けますが、とりあえず左手の「井戸郭」を先に見ようと思います。

《No.9》

うわっ、すごいわ、こりゃ!

土塁だらけです。

堀が美しいですね~。

土橋を渡って行きます。

「井戸郭」に乗りました。

【井戸郭】

『井戸郭は、この南裾にある帯郭の水の手を守る役割を持った郭と考えられますが、本郭へ通じる3つの虎口のひとつともなっています。

本郭へは木橋を渡って入ることができますが、ここには左側から強力な横矢がしかれられていて敵の侵入を拒んでいます。

また木橋下の堀は、南二の郭から東二の郭や本郭西側へと通じる堀道となっており、味方の兵にとっては便利な通路であったことがわかります』

なるほど、なるほど~👀

ここを味方の兵が行き来したのですね。

《No.11》

こちらが本郭へ渡る木橋が架かっていた虎口です。

《No.12》

「井戸郭」を上から見ています。

石が置かれた場所が井戸でしょうか?

あの水場を守るためにここから睨みを効かせていたのでしょうね。

あら~!

鉄塔さんが見えますよ🎵

4回線の赤白女性鉄塔です。

コック形帽子をかぶったスマートな鉄塔で、ジャンパー線が丸みを帯びていて、瞳の大きなかなりの美人さんですよ。

一方向からしか見られませんので、それ以上イメージすることが出来ません。

井戸郭の側に立っていますから、「井戸郭鉄塔」ってことで😅

《No.13》

では、元の道に戻り、東方向へ行ってみようと思います。

本郭東側の帯郭かから本郭の虎口を見上げた写真です。

《No.14》

本郭は後のお楽しみに取って置き、先に「東二の郭」へ行きます。

左手に見えている斜面は本郭東側の土塁です。

【東二の郭】

ほとんどの部分が剥がれていました💦

すると途端に何も分からなくなりますね(涙)

何とか読めるのは、、

・東二の郭は本郭の北東に位置する

・東二の郭と東三の郭は自然の傾斜を利用している

・東二の郭から本郭への虎口は○○坂虎口である(○○が気になる~💦)

・本郭への虎口は、本郭からの横矢で守られていて、土塁は(?)北二の郭への通路である

・東二の郭から三の郭への虎口は左隅に配置

・三の郭から先は平坦な尾根が長く延び、城普請の形跡なし

《No.15》

「東二の郭」から谷を挟んで「外郭」方面を見たところです。

この谷はまだまだ整備途中といった雰囲気ですね。

《No.16》

「北二の郭」への通路だった堀と土塁です。

《No.17》

土橋の虎口から「東三の郭」へ行ってみます。

《No.18》

「東三の郭」から「東二の郭」北側を見た写真です。

この堀を行けば「北二の郭」に行けそうですが、もう少し東の尾根を歩いてみます。

右側は民家の私有地のため立ち入らないようにロープがはられ、竹林となっています。

《No.19》

東の尾根です。

確かになだらかにどこまでも続いています。

森がとても美しいです。

このまま進むとやがて道は右手に曲がり、玉ノ岡中学校の門の近くに出るのだと思いました。

なので、Uターンしました。

ターボは来た道を戻っていましたが、私は北側に寄った所を歩いて戻っていました。

すると、細い竹が等間隔に地面に刺さっていて、何となく道になっているので、もしかしたら、北側の谷を横断して北の郭に出られるのではないかと思いました。

ターボを呼び寄せました。

《No.20》

ターボの左側に細い竹が立っているのが分かるでしょうか?

これが何を意味しているのか?

多分道に沿ってあるのだと思うのです。

《No.21》

左の土塁が終わり、正面にこんもりと盛り上がった土塁のようなものが見えてきました。

《No.22》

右手の土塁は、左手の様子が木立に阻まれわからないので、確かではありませんが、「北二の郭」の下の曲輪なのではないかと?

谷をわたります。

丸太橋の下は少しぬかるんでいました。

土塁のような曲輪に乗ってみます。

《No.23》

そこからは谷に沿ってうねうねと土塁と堀が連続しているように見えました。

多分ここも城趾の一部なのではないでしょうか?

まだ調査が完了してないのでしょうね。

案内図には載っていません。

そして北方向にはシルバーの女性鉄塔が立っていました。

2回線ですね。

ジャンパー線の上に出ている突起(雷から碍子を守るアークホーンと言います)が触覚みたいで可愛いですよね。

あれ?

左手には碍子が6本見えますが右手には3本しかありませんね。

蛹点で垂直碍子が鉄塔に埋没しているということです。

女性騎士型鉄塔ですね。

それ以上の情報はなく、表情まではわからないので、堀の向こうに立っているからという理由で、「ほりほり鉄塔」と呼ぶことにしました😅

テキトーに尾根に向け登ってみました。

(道はありません)

すると前方に堀が現れました。

掘りに降りて向かいの土塁に登ってみます。

《No.24》

これまた美しく複雑な構造の堀が現れましたよ!

多分「北二の郭」と「北三の郭」の間のコの字型の堀だと思います。

《No.25》

堀に沿って歩くと、右手は広々とした曲輪でした。

北に向け平らな道が続いていたので、進んでみます。

《No.26》

すると、右手前方に堀が現れました。

今までの堀と違って藪に埋もれています。

この辺りから調査未了の雰囲気に。

道はまだまだなだらかに下っていましたが、自然の尾根を麓まで下ってしまいそうだったので、この辺りで引き返しました。

今のところまでの軌跡です。

戻る途中で右手に藪に埋もれた竪堀も見られました。

《No.27》

「北三の郭」から「北二の郭」へ渡る食い違い虎口に差し掛かりました。

《No.28》

「北二の郭」に乗りました。

《No.29》

西を見ると藪で分かりにくくなっていますが、大きな堀と細長い土塁が見られました。

《No.30》

いよいよ「本郭」を見上げる位置まで来ました。

本郭をコの字に囲む堀と、本郭北西の端にある土塁(横矢掛かり)が見えています。

【本郭 北虎口】

『北方面の虎口は、強力な横矢掛かりに守られています。

南西の井戸跡方向から帯郭を登り進んできた敵は、大きく回り込まなければ本郭に浸入できないよう工夫されています。

虎口の前には小さな平場(虎口受けと言います)が見られます』

こちらが敵が浸入してくる南西方向からの道。

いかにもスムーズにやって来れそうな道ですが、

最後大きく回り込まないと本郭へたどり着けません。

そしてそこに左側の土塁から横矢が飛んでくるという仕掛けです。

ターボが敵ならいい的になったことでしょう。

私たちは味方なので(?)無事登城成功です😁

祠がありましたので、何はともあれ、挨拶しておきます。

私たちは鉢形城方面からやって来ましたが、丸腰です。

敵ではありませんので、よろしくお願いします🙇⤵️

【国指定史跡 杉山城跡】

(平成20年3月28日指定)

・室町~戦国時代の築城と推定される典型的な山城

・急峻な丘陵を巧みに利用して十余りの郭を理想的に配置

・正に自然の要害として県内でも有数の城で、当時の高い築城技術が偲ばれる

・松山城と鉢形城を連絡する軍事上の重要拠点

・松山城主上田氏の家臣杉山主水の居城か?

《No.31》

本郭北西端の土塁(横矢掛かり)から虎口を覗いてみました。

《No.32》

こちらは北側の堀です。

《No.33》

本郭北の土塁から東郭を見たところです。

《No.34》

東側虎口から南東方向を見たところです。

「帯郭」「南二の郭」「外郭」が見えています。

「東側虎口」です。

下った先はT字路になっていて、左に行くと東郭、右に行くと帯郭経由で、南郭や外郭へ行けます。

《No.35》

本郭には3つの虎口があります。

先ほど登ってきた「北虎口」、ひとつ前の写真の「東虎口」、そしてこの写真の「井戸郭口」です。

ここから西側の井戸郭へ木橋が渡されていたのです。

【本郭 井戸郭口】

・右側から強力な横矢掛かりがある

・このように横を突出させて虎口を設ける形態を比企型虎口とも呼ぶ

《No.36》

南側から本郭全体を見たところです。

少しお腹が空いてきたので、エネルギー補給です。

ターボがこのキャラクターを見て「姉さんそっくり!」と言ってました。

確かに、似ている(涙)

《No.37》

ところで、パンフレットには本郭のこんな写真が載っていたので、こんなリアルな遺跡が見られるのかと思っていましたが、これは発掘調査の過程で撮影されたもので、調査の後で埋め戻しているのでしょうね。

確かにこのまま遺構を露出させていては、雨などで消失してしまう可能性が高いですもんね。

この写真は現在こんな風になだらかな形状になっています。

この下にパンフレットのような石積みや直角に掘れた遺構が隠されているという訳ですね。

この時初めて知りました😅

《No.38》

西側をまだ歩いていないので、この後「北虎口」から下り、西側の帯郭を歩くことにしました。

前方の明るい場所が「井戸」のある曲輪だと思います。

《No.39》

「井戸郭」と「本郭」の間にある複雑な構造の堀を下から眺めたところです。

《No.40》

井戸のある曲輪に乗りました。

【井戸跡】

『現在城趾内で確認されている井戸跡はこの一ヶ所です。

地山が岩盤なので、現在でもほぼ一年中水がしみ出しており、春先には山椒魚の産卵場所となっています。

蓋の石は、おそらく城の造成の際に掘り出されたもので、このように蓋をしているのは、廃城の際敵方に使われないように「水の手を断つ」ためと思われます』

うわぁ、そうなんだね(涙)

貴重な井戸に蓋をせねばならなかった時の城主の心情を思うと胸がつまりますね。

確かに今も水がしみ出しています。

この後、少し石を触って、当時の人々の無念に思いを馳せました。

《No.41》

更に帯郭を南下し、南二の郭の堀をやり過ごし、「南三の郭」へ行ってみようと思います。

《No.42》

左手に「南二の郭」との間の堀がある虎口を歩きます。

【南三の郭 西虎口】

細い土橋の坂虎口という表現なんですね。

奥(北方向)にも説明板があるようなので、行ってみましょう。

【食い違い虎口】

『南三の郭と南二の郭の虎口は、左右の土塁が平行にずれている虎口になっています。

これも横矢掛かりの変形で、敵の直線的な浸入を妨げ、二の郭内部を見えにくくする工夫です』

え?なに?なに?

『食い違い虎口はこの城趾内でではここだけ』 ~?

え?そうなのか!

ってことはさっきの北三の郭から北二の郭へ入る虎口は「食い違い虎口」とは呼ばないということですね。

ただ単に道が折れているのでは呼ばないのか!

両側に横矢掛かりの土塁があることがその条件なのかもしれませんね。

《No.43》

これが「南二の郭」へ登る「食い違い虎口」です。

確かに二の郭の様子を見るとこは叶いません。

《No.44》

では南下して、「馬出し郭」に向かいます。

《No.45》

ほほ~、これまた見事な!

土橋から左手を見たところです。

「外郭」との間の堀が見えます。

こちらは右手を見たところです。

「南三の郭」の南側に北向きコの字につくられた堀です。

そして、南三の郭の南側の大きな堀です。

【馬出郭】

『馬出郭は、南三の郭と大手の間に位置する、堀で囲まれた小さな空間です。

南三の郭南虎口に向かい登っていくと、左側の土塁が張り出しており、横矢掛かりが設置され、防御の工夫を見ることができます』

《No.46》

この城の中でも最も美しい屏風折れを馬出郭から見たところです。

敵が南から浸入してきた場合最初に目にするすごい景色に、顔から血のけが引いたんじゃないですかね?

「これは無理かも知れない😱」と悟ったことでしょう。

それでも突き進まねばならない足軽たちの悲哀を感じますね。

その後橋を切り落とされた後の堀を横断し、出郭から、現実世界へと戻ったのでした。

写真No.を赤い数字で表しています。

黒い線は歩いた軌跡です。

杉山城趾は今まで歩いた山城の中で最も分かりやすく遺構が残されていて、説明なども要所要所に設置され、大変分かりやすく素人でも理解できる、素晴らしい青空博物館でした。

今後の更なる発掘調査に期待したいです。

再訪したいと思います!


いつも応援していただき、ありがとうございます😊

×

非ログインユーザーとして返信する