50代からのお気楽山登り

これから山登りを始めようと思う方、ハードな山は無理だけど山歩きを楽しみたいという方に参考にして頂けたらと思います。山行記録と写真、行程図のイラスト、私なりの難易度を載せています。

【埼玉、寄居町】2020年5月《特別休暇37日目》

金尾山山頂から、こんにちは。


いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。


この特別休暇中、遠くに行けない私たちは、地元の(人に会わない)山歩きを1ヶ月続けてきて、寄居町にある多くの山城巡りに行き着きました。

鉢形城趾(これはまださらっと歩いただけですが)、花園城趾、花園御岳城趾、虎ケ岡城趾、猪股城趾、、それに車山(大砲が置かれた場所らしいです)も歩きましたから、鉢形城の戦略的支城をほぼ歩き尽くしたことになります。

残すは今日初訪問の金尾山城趾(要害山城趾)です。

金尾山はツツジの名所として整備され、ゴールデンウィーク前後は山が真っ赤に染まる程の景勝地ですので、「人のいない山」というカテゴリーから外れてしまうため、今まで訪ねる事が出来ませんでした。

しかし最近麓から山を見上げると、ほとんど赤がなくなっているのが分かりましたので、そろそろ人はいないのではないかと思います。

先日、ゴルフ場近くの藪こぎをした際にお会いした藪こぎ大先輩が使っていたフェイスカバーがとてもいいと思ったので、ターボとウォーリーとお揃いで購入しました。

これで顔と首が日に焼けずに済みます。

コロナ対策にもなり、涼しくもあるという、一石三鳥。

まぁ、これで銀行に行けば完璧強盗と間違われますけどね😅

姫にこの写真を見せたところ、「これならゴルフ場に不法侵入しても誰だか分からないからいいね!」と言われました😣

別にそんな意図は微塵もありません、誤解のなきよう😁

ということで、怪しい二人の金尾城趾初訪問です。


☘️5月14日

~ 金尾城趾の大展望に感動するの巻 ~

⏫見えているゴルフ場は金尾城趾の道を挟んではすむかいにある長瀞カントリークラブです。

大平山の麓になります。

金尾山が長瀞町と寄居町の境にある山脈の突端にある(荒川に半島のように出っ張っている)ことがよく分かります。

今日は余湖さんの縄張り図を参考にしながら、

ネットで調べて私が手書きしたこんな心細い地図を持って探検に出発です。

今日は余湖さんの縄張り図には載っていない竪堀を探したりしたので、一応私が書いた地図の番号で写真説明したいと思います。

金尾山の裾野(7郭)には「長瀞玉淀自然公園線」という車道が走っています。

余湖さんの縄張り図でも分かるようにかなり深く削って道を作っているので、車道からは階段を登って敷地内に入ります。

階段を登った先は道が二手に分かれていました。

帰りに下の道を通ることにして、まずは真っ直ぐに進みます。

左手に斜めに登っていく道がありました。

こちらを辿ると「7郭」「6郭」に繋がるのだと思いますが、それは後のお楽しみにとっておきます。

とても大きな赤松がありました。

それはそれは見事に真っ直ぐに伸びて清々しいです。

昭和34年の全国植樹祭のおりに、天皇陛下が詠まれた詩の石碑がありました。

左手に山頂に向かう道がありましたが、もう少し遠回りしてみようと思います。

ツツジはもう終わっています。

それを待っていたのですから、当然ですが😅

このまま真っ直ぐ行くと車道に出てしまいそうだったので、この辺で左手に入って行きました。

ツツジは終わっているものの、足元にはピンク色が鮮やかなアザミが沢山咲いていました。

あら、ちょうど蜜蜂が交尾中でした。

私の押したシャッター音がすると、「ブンッ」と羽を鳴らして抗議されました。

遊歩道脇にはハルジオンなどが咲いています。

金尾地区の皆さんが整備されているようなので、夏の草刈りで刈られてしまうのかも知れませんね。

真ん中に真っ直ぐ鳥居まで伸びる階段がありますが、私たちはわざと遠回りしています。

まだ花が残っていた、、というか種類が違うのでしょう。

これはツツジではなく、サツキ?

私は見分けがつきません😣

見上げるともみじが涼やかに揺れていました。

秋にも訪れてみたいですね。

徐々に展望が開けてきます。

寄居を流れる荒川が見えてきました。

「はるか(八重桜)」

平成30年6月の植樹祭の時に東日本大震災復興支援の感謝として福島県から送られた桜の苗木だそうです。

こちらは「三春滝サクラ(紅しだれ)」。

これはハガレーナがいたら大喜びしそうな虫(名前は知らないです)。

更に視界が開けてきました。

これは山頂からの眺めが楽しみですね。

左手の三角が花園御岳城趾、その右奥の三角が花園城趾です。

鉢形城趾も見えています。

山頂に向かう階段はスルーして更に回り道。

斜面全てがツツジです。

これは満開の時には圧巻でしょう。

ではそろそろ左手に山頂方面へ向かいますか。

上に登るにつれ、ドンドン開ける展望。

今日は空気が澄んでいるようで、とてもクリアに見えています。

荒川が美しいですね。

カタツムリ、久しぶりに見た気がする😁

これまた真緑!

ここは虫の楽園ですね。

おや、いよいよ、東側の郭に到着しましたよ。

ビニールテープが張ってありますが、その横を少しだけ入って覗いてみると、

ありました、ありました、「竪堀1」が。

絵の通りにどん詰まりになっています。

左に見えているのは「2郭」の上段です。

このまま尾根を行っても良かったのですが、折角なので、虎口から入りましょう。

こんな眺めを見ながら進み、

虎口から「2郭」に入ります。

ここは虎口から入った「2郭」の下段です。

「2郭」の上段(さっきの竪堀の終点からの尾根)に乗りました。

縄張り図を見て場所を確認する私。

写真を撮影した場所をメモしています。

めっちゃ男らしい😢

このように「2郭」は二段構造です。

その段差を形成している石垣が残っていました。

「2郭」下段から愛宕神社の方へ。

振り返って広々とした「2郭」を見たところです。

今日もちゃんと手を合わせます。

城趾にお邪魔させていただきます。

宜しくお願いします🙇⤵️

金尾山由来です。

ほうほう、「金尾山」の由来は、奈良時代に銅を産出していた和銅山の尾だからなんですって。

和銅開ちん(漢字が出てこない💦)の和銅か!

日本最古の流通貨幣ですね。

なるほどね~😁

私がはからずも最初に書いた長瀞(秩父)の山脈の突端だと言ったのが正にそれですね。

1万株のツツジが自生し、「4月中旬から5月中旬はツツジが全山赤く染まり、緋の衣のごとく、裾野の桧は緑の袴のよう」と表現されています。

なんと素敵な!

金尾城(要害山城)は鉢形城の西方の支城として、藤田重利が築城したとあります。

今でも竪堀、土塁、馬出しが残っていると書いてありますね。

しかしこの敷地内には一切それを説明するものは存在しませんでした。

竪堀はひとつわかったのですが、土塁というのはさっきの「2郭」のことなのか?それとも他にもあるのか?

またこの後探しますが、「馬出し」に至っては全くどこだか分かりませんでした。

愛宕神社からはこんな風に寄居の町を一望できます。

では階段を登って見晴台(「1郭」)に行きましょう。

階段横にはかつての石垣あるいは石段の跡が見られました。

見晴台に登ります。

うわぁ、これはすごい。

素晴らしい展望です。

こちらは西方向。

荒川の先に城峯山。

その手前が今日帰りの車の中で初めて知った天神山(城趾)でしょうか?

北西方向。

陣見山とその向こうに雨乞山の十円ハゲが見えています。

北方向には虎ケ岡城趾。

こんなに近いんだね!

虎ケ岡城は鉢形城に食糧を運ぶ重要な拠点だったそうなのです。

帰宅してから夫にこの写真を見せたところ、下にある国道140号は昔はなかったそうで、荒川を挟み対岸は断崖絶壁で道など作れる地形ではなかったのだとか。

だから陣見山から虎ケ岡城に向かう道がまるで街道のように歩きやすかったのか!

激しく納得です。

昔は寄居(鉢形城)に抜ける道は、虎ケ岡城の尾根道と、金尾山城の南側の道(現在の長瀞玉淀線)しかなかったということなのだと思います。

南側を眺めるターボ。

寄居の町を一望します。

荒川を挟んで右手が寄居町折原、左手が寄居町末野と藤田(藤田重利の出身地)です。

真下を覗けば山の斜面一面に広がるツツジの群落。

緋の色に染まった様を見たかったですね。

今年はその頃コロナ全盛期でした😢

西側に、長瀞カントリークラブが見えます。

ということは、この山は大平山(小林山)だと言うことです。

あそこの尾根をこの休暇中にひまと一緒に歩きました。

大平山の麓を流れる荒川が美しい!

半島のようになっている金尾山を迂回して荒川が流れています。

川に向けては急斜面です。

天然の横堀ってわけですね。

鉢形城と同じです。

こちらから攻めこむことは容易ではないでしょう。

背後には虎ケ岡城も控えていますしね。

天然の要塞、、いやぁ、すごいなぁ。

もう一度その虎ケ岡城趾を眺めます。

右側の急斜面を登り、主郭から左手のあの窪みは最初の横堀ではないでしょうか。

そこからなだらかな曲輪を進み、徐々に陣見山に向け登って行きます。

歩いたから、良く分かる😊

今までただ漠然と緑がきれいだなぁなどと眺めていた山にちゃんと役割があって、理由があって、、ほんの少しですが、そんな風に風景を眺める事ができるのは、とても楽しいです😊

早く図書館が心置きなく使える環境にならないかなぁ。

調べてみたいことが山ほどあります。

そんなことを考えながら、金尾山からの眺めを楽しみました。

愛宕神社まで降りてきました。

この「愛宕神社」の文字は何ともユニークですね。

どなたか偉い方の書なのでしょうか?

「3郭」から「主郭」を見上げたところです。

かなりの高度感ですよね。

「3郭」には東屋がありました。

西側にも階段があったのですね。

上にいるときは降りる道に気がつきませんでした。

この辺りから西に伸びる「竪堀2」があるはずなのですが、見つけられません。

とりあえず階段で下に行ってみようと思います。

すると右手に藪がありましたので、この中に竪堀が隠れているのではないかと思い、私が薮の中に入ってみました。

しかし薮の中はトゲトゲのある木が腕や背中に当たって痛いったらありゃしない😱

しかも足元を見ても竪堀らしきものは見当たりません。

仕方なくターボのもとへ戻りました。

少し入っただけなのに、私が全く見えなくなったと、ターボが心配していました。

この写真を姫に見せると、「このフェイスカバーは藪こぎ用だね」と言われました😅

いえいえ、これはレディの日焼け防止です。

決して藪こぎ用でも人相を隠すためでもございません。

誤解のなきよう。

竪堀は諦めて、「4郭」に向かいます。

四ツ辻です。

左に行けばツツジの散歩道。

真っ直ぐ行けば、「4郭~7郭」に沿って下る道、右に行けば「4郭」のトップだと思うのです。

しかし向かった先はただの薮でした。

入ってみようかと思いましたが、全く付け入る隙がありません😅

仕方なく登山道に沿って右手に行くと、道がくの字に曲がる所で真っ直ぐ進めそうな気配だったので、私が薮に入ってみました。

何とか竪堀を見つけたかったからです。

しかし全くそれらしき遺構は見つけられず(涙)

敗北感満載でトボトボと下っています。

ターボが歩いているこの左手が「郭」なのだと思うのですが、全く取り付く場所がありませんでした。

車道に出ました。

再び朝登った階段を登り、

左手の道に入りました。

向かう先に「7郭」や「6郭」があるのだと思うのですが、

明確には分かりません。

その後道は右にカーブし直登に。

左手を観察しながら登りましたが、

結局「郭」は確認できず、さっきの四ツ辻に戻って来ました。

振り返るとこんな感じです。

「郭」があると思われる場所は薮と森になっていて、全く何がなにやらです。

諦めて帰ることにしました。

ツツジの道をたどり、

朝歩かなかった平らな道を戻ります。

涼しい風が吹いていました。

右手には天皇陛下お手植えの記念碑が。

6本の桧が大切に守られていました。

初めて訪れた金尾山城趾は、想像以上の大展望で、感動しました。

他の城との位置関係も確認でき、自然の要塞ともいえる地形を観察することも出来ました。

今日金尾山城趾を調べる過程で、長瀞町の天神山城趾というのがあることを初めて知りました。

廃墟となったハリボテの天守閣や、手付かずの遺構も残っているそうです。

近いうち訪ねてみたくなりました。


いつも応援いただき、ありがとうございます。

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