50代からのお気楽山登り

これから山登りを始めようと思う方、ハードな山は無理だけど山歩きを楽しみたいという方に参考にして頂けたらと思います。山行記録と写真、行程図のイラスト、私なりの難易度を載せています。

【埼玉、寄居町】2020年5月《特別休暇31日目》

花園城趾かららこんにちは。


いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。


火曜日にウォーリー、ハガレーナ、そしてターボと初めて訪れた花園城趾でしたが、構造が複雑過ぎて、その半分も理解できないまま終了しました。

そのため今回は予習をバッチリすると共に、地図を手に持って歩かなければ全てを回ることは難しいと思い、「余湖さんの地図」を模写することにしました。

昨日の午後の時間を使いシコシコと作業すること3時間。

カレンダーの裏側にフリーハンドで描いた割にはまあまあのデキかと😁

草地を緑色の蛍光ペンで塗り、土塁を赤く塗ったことにより、血を流してる「風の谷のナウシカ」のオームみたくなってしまいましたが、、😅

曲輪の配置などは、一応「余湖さん」の地図を忠実に再現したので、これを持って歩けば全体を一筆書のように回り、気になるポイントをチェックできると思います。

先日まではターボのスマホに余湖さんたちの地図を表示させて、それを拡大して見ながら歩いていましたが、それにはやはり限界があり、甚だ効率が悪い(涙)

やはりアナログ人間には紙の地図が一番なのです。

今日はこんな風に手書きの地図を持ち、歩いたコースと、写真を撮ったポイントを書き込みながら歩きました。

そうしないと、全体的に薄暗く藪と落ち葉だらけの写真を後で見返しても、何がなんだか、何を撮りたかったのかも、な~んもわからんということを経験済みです😅

最近は午前中の早い時間に2~3時間山散歩し、10時頃には帰宅していることが多かったのですが、今回は徹底的に花園城趾を調査(?)しようと思っているので、お弁当を持参し、昼を跨いで山の中をウロウロしようと思います。

まぁ、調査といっても別に測量するわけでも、地質を調べるわけでもなく、ただ地図を見ながら「あ、これ、地図のここだよね!」とか、「おおお、地図に載ってるのと同じ構造だ~!」とか言いながら歩くだけの、まぁ、言ってしまえば「迷路遊び」あるいは「宝探し」のようなものですけどね😁

ということで、予め必ず確認したいことなどを頭に叩き込んで、ターボと一緒に探検に出発です😄

⏬⏬⏬

今日歩いたルートを黒い線で示し、写真を撮影したポイントを赤い数字と矢印で記入しています。

以後写真につける数字(No.○○)はこの撮影ポイントを表しています。


☘️5月8日(金)

~ 花園城趾を徹底調査で、天然のブランコを発見!の巻 ~

左奥に見える山が、花園御岳城趾です。


前回と同じように諏訪神社の右手から登山道をたどります。

分岐が現れました。

《No.1》

前回は西方向へ真っ直ぐ進み途中「堀3」に突き当たるのでそこから「堀3」を登りました。

今回は分岐を右に(北方向へ)入ってみようと思います。

「3郭」か「4郭」下部に出るといいなと思ったからです。

道は春先にされたと思われる草刈りの後が見られました。

(笹が刈られ、鋭く尖った切り口が地面から20~30センチ伸び、足に刺さるので難儀しました)

《No.2》

しかし道はすぐに左手に湾曲し、藪こぎとなり、

《No.3》

結局昨日歩いた「堀3」に出ました。

なんだよ😣

何のための草刈りだったのよ。

(とは言え、後程訪れる4郭の下部に南西に伸びる歩きやすそうな登山道が見られたので、やはりそこに繋がる道だったのかなと後で思いました。この時はうまく道を見つけられませんでした。多分藪だったのだと思います)

「堀3」は途中から真ん中の土塁で仕切られた二重構造の竪堀です。

その東側の堀を登っています。

《No.4》

登りやすい場所から右手の曲輪に乗りました。

「3郭」からずっと下方の曲輪だと思います。

途中下から伸びる竪堀の終点を目にしたので、余湖さんの図には載っていない下の曲輪だったのだと思います。

《No.5》

「堀2」を横断します。

《No.6》

「4郭」下部の曲輪にあるいくつかの虎口を見つけたかったのですが、良く分からなかったので、写真は省略します。

見えて来たのは、「堀1」手前にある土塁です。

《No.7》

「堀1」に降りました。

こちらは山裾方向を見た写真です。

「堀1」は規模が非常に大きく、山裾まで達しているそうです。

《No.8》

「堀1」から上の方を見た写真です。

《No.9》

堀の側面は削られた緑泥片岩という岩盤です。

確かに緑色ですね。

《No.10》

堀の東側に登ってみました。

《No.11》

尾根に乗り東方向を見た写真です。

確かにこちらはなだらかですので、敵が容易に侵入できそうです。

東からの侵入に対して防備を固めるために、東の端にある「堀1」は最長、最大なのでしょう。

《No.12》

「堀1」に戻りました。

ターボとその大きさを比べてみてください。

《No.13》

「4郭(東郭)」の北東斜面を登ってみます。

《No.14》

「4郭」に乗りました。

《No.15》

こちらは「4郭」から下の曲輪に降りるための虎口です。

下の曲輪は先ほど調べて(良く分からずに写真を省略した場所)いるので、下ることはせず、背後の土塁からクランク状の「堀2」に降りてみることにしました。

《No.16》

「堀2」の直角に曲がる角にターボが立って、腕の方向で90度を示しています。

《No.17》

その後「堀2」を登り、「3郭」の北東の角から「3郭」に乗りました。

東側と南側の縁に土塁があるのが良く分かります。

《No.18》

西側の土塁と東側の土塁にまたがる形で倒木がありました。

《No.19》

「3郭」の南東にある土塁にターボが乗っています。

《No.20》

下の曲輪に降りる虎口にターボが立っています。

その後地図に描かれているπの形の窪地など探して歩きました。

それっぽい地形は確かにありましたが、写真を見ても何がなんだかわからないものだったので、省略します。

《No.21》

「堀3」に入りました。

地図ではこの地点は二股に分かれる堀より上の方(まだ堀が一本)だということになりますが、実際はすでに土塁で堀は二つに分かれていました。

なので、余湖さんの「堀3」の土塁はもう少し上の方まで伸びていると思いましす。

間違っていたら、ごめんなさい💦

《No.22》

なぜ「堀3」に降りたかというと、これを確認したかったからです。

過去にここに橋がかかっていた可能性があるらしいのです。

橋脚を支えたと見られる緑泥片岩に穴が穿たれているとネットにあったので、それを探してみました。

確かに二ヵ所穴がありますよ!

《No.23》

穴が穿たれた岩を含めた周囲の様子です。

ここに橋がかかっていた可能性、、。

想像してみてください。

武士達がその上を歩き、時に走り抜けたワラジの足音を😁

《No.24》

右手の土塁下にも穴があります。

ここが右側の橋脚跡?

《No.25》

「堀3」から「堀5」に入り、クランク状に曲がっている角にターボが立って、腕を90度に広げています。

《No.26》

曲がった先は「3郭」と「2郭」の間を真っ直ぐに分けた「堀5」です。

《No.27》

「3郭」西側の堀の壁です。

緑泥片岩の大きな岩盤がむき出しになっています。

自然岩盤堀切というそうで、垂直に切り立っています。

《No.28》

「2郭」の北東の角から登りました。

《No.29》

先日来たときにも書きましたが、「2郭」の北東の角には何故かアンテナが立っています。

《No.30》

アンテナの下に立ち撮影した四角い「2郭」。

《No.31》

「2郭」の北西の角が高台になっているので、そこに行ってみます。

《No.32》

そこから「堀6」を見下ろしました。

すごい高度感です。

とても深い。

「1郭」を何としても守ろうとする強い意思を感じますね。

《No.33》

高台からの景色です。

正面に見える山が花園御岳城です。

この花園城はあちらの山より標高が低く、丸見えになるので、戦略上弱点となる場所を敵に占拠されないように花園御岳城をつくったのだそうです。

《No.34》

「2郭」の東端には石垣を伴った立派な土塁があります。

ここに何か建物が建っていたのでしょうね。

《No.35》

虎口から下の曲輪に降ります。

《No.36》

下の曲輪から虎口を振り返って見たところです。

歩いて見てわかったことですが、過去にここは石段であった可能性が高いと思いました。

名残の石が深い落ち葉の下に隠れています。

《No.37》

更に一段下がり、「堀6」の逆L字に曲がった下部にある土塁を歩きました。

とても歩きやすい道です。

これは東側からの登城ルートだったのでしょうね。

(勝手な想像です😅)

《No.38》

「堀6」にかかる土橋を渡り、急斜面を「1郭」に向け斜めに登ります。

《No.39》

落ち葉に足を取られながら斜面を登るターボを、土橋の上に立ち撮影しました。

この後私も同じルートで登りましたが、やはり落ち葉の中にかつての石段を思わせる石の段差が隠れていました。

ほぼ崩れていますが、わずかに確認できます。

《No.40》

「1郭」に乗りました。

「1郭」の東側半分は、石垣により二段構成になっています。

《No.41》

ここも確認したかったポイント。

「1郭」に南に向け半島のように出っ張っている土塁です。

半島の先にターボが立っています。

《No.42》

少し西側に移動し南側を覗くと、下に細い通路のような曲輪がありました。

なるほど、ここがもうひとつの登城口なのか。

西側の「堀7」を渡って「1郭」の一段下に乗り、この道を回って(南側を回り込む形で)さっきターボが立っていた土塁の向こう側から城郭に入っていたルートが見えてきました。

《No.43》

寄居町教育委員会が建立した「花園城趾」の石碑です。

確かにこんなに立派な石碑を建てるくらいなら、もう少し下刈りなどして、花園城趾を守って行けば良いのにと感じますね。

この後私たちが足を踏み入れなかった多くの場所は笹が生い茂り、完全なるブッシュと成り果てていました。

この後この石碑の側でお昼休憩し、午後の部のスタートです。

《No.44》は冒頭の二人の食事風景でした😅

《No.45》

「1郭」の西側斜面を「堀7」に向け下ります。

《No.46》

「堀7」に立つターボ。

こちらからは絶対敵は登れないと思いますね。

大きな岩盤が敵の侵入を防いでくれます。

《No.47》

北西の端にあった緑泥片岩です。

《No.48》

落盤した大きな岩の横を巻いて、「1郭」北側の曲輪に登ってみました。

《No.49》

どこまで続いているのか?

(確かめませんでした)

細長い通路のような曲輪です。

北側は落ち葉に埋め尽くされた急斜面なので、北側から攻め込むことは不可能と思われます。

これは裏方の通路?

(勝手な想像です😅)

《No.50》

落盤が激しい「堀7」の北の端から、西側の土塁に乗ります。

《No.51》

とても歩きやすい!

これ、やはり登城ルートですよ。

ここを歩いて堀7の端にある土橋を渡って「1郭」下の細い曲輪(通路)を回り込んで南側から城郭に入ったのだと想像します。

《No.52》

そこから西側の尾根を下ってみることにしました。

《No.53》

さてどこまで下れるのか?

いつか藪か崖に阻まれるのだと思いますが。

《No.54》

最後は藪と崖(急斜面)のダブルパンチでした。

下を見ると細い曲輪も見えましたが、このまま下ると里に降りてしまいそうだったので、ここで引き返すことにしました。

《No.53》

南側を見ると、広々としていますが、藪と林になっていて行ってみようとは思えませんでした。

皆さんが後世段々畑として改変されている可能性が高いと言ってますし。

畑にすると藪になりやすいのですね。

土が柔らかくなってしまいますから。

そう考えると、先ほどの「堀7」西側の土塁(かつての登城ルートと私が勝手に思っている)など、全く笹などが生えていなかったですから、いかに踏み固められているのかが分かりますよね。

400年以上の時が経過しているのにですよ。

すごいことですよね。

《No.56》

「堀7」の二段下の曲輪から「堀8」に回り込もうかと思いましたが、藪で道が不明瞭だったので断念しました。

大人しく「堀7」に戻ります。

《No.57》

「堀7」のクランク状になった曲がり角にターボが立っています。

《No.58》

「堀7」を曲がると「堀8」に誘導されます。

《No.59》

しかし「堀8」はターボが立っている土塁で行き止まりとなり右に曲がる構造です。

《No.60》

私もその土塁の上に立ってみました。

左手(西方向)へ「堀8」は続きますが、それもすぐに行き止まりとなります。

これが正に「藤田系城郭の妙」らしいです。

堀が途中で折れたり他の堀と合流したり、最後は行き止まりになったり、、😱

敵の動きを制限して、最後はこの行き止まりに追い込み、周囲の曲輪から総攻撃を仕掛けたのです。

この堀では兵士たちの阿鼻叫喚がこだましたことでしょう。

城を守るのも大変だけど、そこに攻め込む人々も怖かったろうなぁと想像します。

《No.61》

「2郭」から逆L字型に伸びている曲輪に立ち寄ります。

一ヶ所確認したい場所があるからです。

《No.62》

それはこちらです。

「余湖さん」の地図に窪地として描かれていて、どんな風になっているのか、その目的も含めて気になっていた場所です。

石垣に囲まれているはずなのですが、そのほとんどを深い落ち葉で隠されています。

穴がわずかに開いていますが、そこを覗くと石垣であることがわかるのです。

何か出てきそうで怖かったので落ち葉を掻き分けることはしませんでした💦

《No.63》

その後何段にもなった細かい曲輪を下り他の遺構も確認したかったのですが、同じく落ち葉や藪に隠されて不明瞭です。

石垣が残っているのですが、、。

《No.64》

遺構を探してウロウロしているとそこに面白いものを発見しました。

おやおや、これは形が面白い。

「φ」の形ですよね。

見上げるとなんと、下から伸びた蔦がうんと上にある別の木の枝を跨いで下までぶら下がっています。

これはもしかしてブランコになったりする?

私が体重をかけて強度を確かめます。

恐る恐る乗って、ゆっくりゆっくり足を地面から離しました😅

何しろ体重が重いもんで(涙)

私でも乗れました!

なので、大概の方は大丈夫だと思われます。

万が一枝が折れたら太い蔦が上から頭の上に落ちて来ますから、そこは自己責任でお願いします🙇⤵️

ターボも乗ってみました。

足を伸ばしてゆ~らゆ~ら。

スリリングでもありますが、ちょっと夢心地でした😍

《No.66》

さて、そろそろ帰りましょう。

虎口から下ります。

《No.67》

一段下の曲輪から石垣を撮影したところです。

奥に私たちの(?)ブランコも見えます。

《No.68》

石垣が切れている所はかつての通路でしょうか?

それとも後世の畑作の名残? 使われている石垣の材料は、堀を造る際に切り出された緑泥片岩です。

堀を掘った土で土塁を造り、削った岩で石垣を生成する。

とても効率的ですよね。

《No.69》

斜めに(南西方向へ)何となく道があります。

《No.70》

行き着いた場所は「堀4」の西側の堀でした。

この少し手前で東側の堀は行き止まりとなっているようです。

その堀をどこまで下れるか行ってみようと思います。

道を大きく横切る形で伸びていたぶっとい蔦です。

(振り返って撮影)

これはハガレーナなら歩けるんじゃないかな?

今度歩いてもらおう!とターボと話しました😁

《No.71》

しばらく行くと堀はついに行き止まりに。

元々ここで行き止まりなのか、それとも倒木や藪で塞がれてしまったのか、定かではありませんが、とにかくこれ以上進むことはできませんでした。

《No.73》

「ここからどうする?」とターボが聞くので、東方向を見ると確かに藪ですが、このところ藪こぎばかりしているので、このくらい何てことないです。

「行ける、行ける、道があるよ」と言いながらブッシュを掻き分け進みました。

《No.73》

やがて「堀3」に到達しました。

この「堀3」は二重構造のはずが一本しか確認できませんでした。

でも「余湖さん」の地図には下の方まで二重構造になっているからなぁ。

違ったのかなぁ。

目を皿のようにして探したのだけど、一本にしか見えなかったです😣

「堀3」に立って上を見ると白いビニールテープが張られていました。

あそこより下部には立ち入るなということでしょうね。

どうやら私たちは立ち入り禁止の場所にいるようです。

あのテープは昨日見た記憶があります。

確か二重構造の東側の堀にあった気がする。

だとすると、今立っているのは二重構造の東側?

ごめんなさい、ここはちょっと記憶が曖昧です😢

《No.75》

それでも少し行くと朝の登山道に合流できました。

《No.76》

諏訪神社の裏手に戻って来ました。

《No.77》

登山道脇に可愛い白い花が咲いていました。

この城趾の中では全く花を目にすることがなかったので、目に新鮮でした。

《No.78》

諏訪神社まで戻って来ました。

今日もお世話になりました。

またお邪魔させていただくかもしれません。

その時はよろしくお願いいたします。

、、、と二人で手を合わせました。

山には神様がいると最近信じるようになっています。

今日も見守っていただき、ありがとうございました。


花園城趾、想像以上の素晴らしさでした。

こんな宝の山が存在するのに、寄居町民にもほとんど知られていないという事実!

かくいう私も全く知りませんでした。

人知れず存在するからこそいい雰囲気を保てているというのもあると思いますが。

藪も多いですが、主要な場所ははっきりと遺構が確認できますので、そんな場所を地図と照らし合わせて発見できた時のワクワク感は、日頃の山歩きでは体験できません。

全く異質の新たな魅力に気がついてしまいました。

藪こぎはできればない方がいいに決まってますが、それでもその先に道を見つけられたりすると、何だか子供時代に戻ったみたいで冒険心をくすぐられます。

巨大な自然の迷路遊びをしてきたと言ってもいいですね。

お宝発見もありますし😁

いやぁ、城趾めぐり、楽しい!

花園城趾は誇るべき寄居のトレジャーワールドでした!


いつもありがとうございます。

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