【埼玉、寄居町】2020年5月《特別休暇28日目》
花園城趾からこんにちは。
いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。
今日は火曜日。
ウォーリーも一緒に山散歩です。
猪股城趾探検ですっかり城趾の虜になっている私たちは、更に規模が大きいという花園城趾に行くことにしました。
猪股城趾で偶然お会いしたあつぼうさんが「猪股城趾の比じゃないよ。花園城趾は素晴らしい」と言っていたからです。
どんな規模なのでしょう?
ワクワクしながから、善導寺から歩き始めます。
☘️5月5日(火)
~ 花園城趾初探訪の巻 ~
⏫今日歩いた花園城趾は黄色い軌跡です。
①は鐘撞堂山。
②は猪股城趾。
③は虎ケ岡城趾(円良田城趾)。
④は花園御岳城趾です。
この中で唯一④花園御岳城趾はまだ行ったことがありません。
(出典「余湖くんのホームページ」)
今日参考にさせていただくのは、「余湖図コレクション、花園城趾」です。
この図を見ただけで規模が大きいことが分かりますが、果たして実際目にするとどんな風なのでしょうか?
あまり整備がされてないようなので、薮に阻まれたり崩れたりしてないかという心配半分と、手付かずの遺構が残っているのは探検しがいがあるなという楽しみ半分です。
特徴は、4つの郭と、5つの鍵形の堀切、多くの腰曲輪の存在、そして変成岩を平積みした石垣だそうです。
本郭(1郭)、2郭、3郭、4郭(東郭)の連郭式(郭を並列に並べた構造)です。
その下斜面に多くの腰曲輪や横堀竪堀を縦横に連絡した複雑な構造をしています。
こりゃあ確かに、(素人の私たちでもすぐに理解できる)猪俣城趾の比較的単純な並びとはかなり違っています。
果たして私たちに読み解く事ができるのでしょうか、、?
まぁ、何はともあれ行ってみましょう。
藤田善導寺からスタートです。
中世の武蔵七党のひとつ猪俣党の支流である藤田氏の菩提寺だそうです。
庭木の手入れもしっかりされた大変美しいお寺でした。
ハートの彫りがある燈籠です。
お寺の墓所の奥に杉林があり、ピンクテープが見えます。
お寺からも花園城趾に行けるのではと思われます。
秩父線に沿って車道を諏訪神社に向かいます。
諏訪神社です。
その後ろにある山が花園城趾ですね。
参道に入る時に、4人でしっかり手を合わせ、「お邪魔します!よろしくお願いします🙇⤵️」という気持ちを込めて頭を下げました。
お寺の華やかさとは対照的にうら寂しい諏訪神社。
私の生まれ故郷にはお寺がなく、あるのは神社だけだったので、子供の頃はよく神社の境内や、お社の床下で遊んでいました。
神社の側の小川で基地を作ったり、その裏山に登ったりするのが私の冒険でした。
そんな幼き日の記憶からか、私は整備が行き届いたお寺よりも、こういう雰囲気の神社の方が好きです。
とても懐かしい気持ちになります。
なので今日のような探検要素のある山散歩は、子供の頃に返ったみたいな冒険心をかきたてられる魅力があるんですよね😁
さて、神社右手のお稲荷さんの所から登山道が始まりますよ。
道は神社の裏手を左斜めに登って行きます。
道は明瞭で、赤いテープもあります。
早速竪堀が現れました。
なるほどこれは規模が大きいですね。
とても縦に長い堀です。
ここは、余湖図の「堀3」だと思われます。
、、、以後出てくる数字は全て「余湖図に記載されている数字」です。
「堀3」を登って行くと、真ん中に土塁を挟んで竪堀がもう一本現れました。
なるほど、図面の通りですね。
竪堀は90度右に折れ、
きれいに石垣が残っている曲輪に乗りました。
ここが余湖図のどの部分なのか、正確に分かりませんでした。
この時は分かっていたつもりだったのに、今図面と照らし合わせてもはっきりしません。
(多分「2郭」の下部の細かい曲輪のひとつだと思うのですが定かではない😢)
再訪しないとです(涙)
神々しい朝の光に包まれるウォーリー😁
急坂をロープを使って一気に登ります。
上がった先は広々としていたので、ここが2郭で、更に進んだ先が1郭なのだと、この時は思っていましたが、実はここは「2郭」の下の広めの曲輪でした。
小さな段差が重なっています。
堀が現れましたね。
思ってる所と同じなのかなぁ?
甚だ怪しいですが、、。
とりあえずリボンに従って登って行くと、
「2郭」に乗りました。
(この時点ではここを「1郭」だと思っていたのですが)
「2郭」の北西の端が盛り上がっています。
おっと?
これは矢倉台ってヤツじゃないですか?
(素人考えです)
その盛り土から見えた景色です。
左手が花園御岳城趾のある羅漢山、右手が高根山ではないかと思います。
ハガレーナとウォーリーが「堀6」に降りて行きました。
「ここは土橋かな?」「土橋だよ!土橋!」と、にわか仕込みの知ってる単語を連発するウォーリー(笑)
ターボが「堀6」に立ってみました。
ここはかなり深いです。
両側が切り立った岩盤です。
大きな岩を削って切り通し状にしたものだそうです。
対岸を登ったところが「1郭」です。
「1郭」の東の端に乗りました。
横長の平らなスペースが広がっていました。
西のスペースに石造りの標柱が立っていました。
城巡りをされている皆さんが、「こんなにも立派な標柱を建てるなら道をもう少しなんとかしてほしい」と語っておられる例のやつです。
裏側にはびっしりと城の成り立ちが書いてありました。
「1郭」の西側には「堀7」があります。
この辺りになってくると、どこを撮影したものだったのか、わからなくなってきました。
ダメだ、再訪しないと、分からない😨
堀が90度曲がるポイントだったのですが、余湖図によると折れ曲がった堀ばかりなので、ここが図面上のどこなのか、さっぱり😱
まだ「3郭」と「4郭」を見ていない気がするので、東方向へ進んでみます。
竪堀を横切ります。
これは「堀5」だったのか「堀3」だったのか?
上を見るとこんな感じ。
登った先は、、
あれ?この時はここを「4郭(東郭)」だと思ってたのか?
だとしたら、さっきの竪堀は「堀2」?。
もぅ、訳がわからなくなってきた。
やはり再訪しないとだ(涙)
ここは一体どこ!?
「堀5」の最上部にいるものと思われます。
それが何故わかったかというと、、
登った先に、
アンテナがあり、こんなところ初めて来たね!と言いながら進むと、
「あれ?ここさっききた所(「2郭」)じゃん!」となったからです。
「2郭」の北東の端にアンテナが立っていたようです。
さっきは全く気がつかなかった💦
そこからはピンクリボンを探しながら下山しました。
(スミマセン、だいぶはしょりました。)
いや、こんなレポートではダメです。
再訪します。
ターボのスマホ画面に図面を出して確認しながら歩きましたが、限界があります。
なんとか「余湖図」をプリントアウトして(できなければ手書きするしかない!)、手に持って写真を撮ったらその角度を記入しながら歩かない限り、この城趾を理解することはできないでしょう。
今回は下調べということで!
再訪します。
いつもありがとうございます。