【埼玉、美里町】朝のひま散歩《特別休暇24日目》
用土城趾から、こんにちは。
いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。
一昨日から左肩を痛めています。
五十肩が悪化したようです。
昨日の夕方、いよいよ我慢できずに整形外科に受診しました。
夕方だったので、私の前に患者は一人だけ、待合室には私以外誰もいないというラッキーな状況でした。
以前ぎっくり腰をして受診しようとやって来た時には、お昼前に受付して診察は夕方4時になると言われた人気の整形外科なのですが。
コロナ自粛だと、皆さん腰が痛いのもじっと我慢なんですね(涙)
しかし私の肩の痛みは尋常ではないです。
昨夜は左手が全く上がらず、薬を飲むことも、顔を洗うことも、鍋を持ち上げることもできませんでした。
その為今朝の山散歩は取りやめとし、ひまのご近所散歩でお茶を濁そうと思っています。
☘️5月1日(金)
~ 用土城趾から虎ケ岡城趾と猪股城趾を眺め心変わりするの巻 ~
ひまとたまに歩くコースに用土城趾があります。
今まで全く興味がなかった用土城趾。
なぜならこんな城風の公民館が建っているだけで、お城のしの字もないからです。
用土城は、藤田康邦(用土新左衛門)の隠居所として築城されたと伝えられているそうです。
発掘調査では薬研堀が見つかったらしいですが、当時の面影はありません。
夫は立派な石の標柱があるよ、と言いますが、標柱を見せられても何も感じません。
小さな公園になっていますし。
当時の面影を偲ぶこんな石碑もありますが。
辺りは区画整理された農地と、新しく建てられた住宅地になっています。
平成14年に建立された「土地改良記念碑」だそうです。
この辺りを区画整理したことにより、水の便や交通の便が良くなり、農作業の効率化が図られたと書かれています。
他の山城と違ってここは里のど真ん中ですから、開発改良には抗えないですよね。
住んでいる人が一番大事です。
横にはふれあいセンターを作った記念碑もありました。
こうやって石碑を建てることにより、何百年先に、「ここにこんなものがあったんだねぇ」という歴史になっていくのだろうか?
何百年先の物好きがこういう物を探して歩くようになるのだろうか?と少し不思議な気分になりました。
私は今この青い丸ポチにひまと一緒に立っています。
ヤマップ地図に赤丸をした所が、最近歩いた城趾です。
①が虎ケ岡城趾、②が猪股城趾です。
私から見ると、左手に猪股城趾、右手に虎ケ岡城趾が見えるはず。
ベージュ色の壁の家の真上にあるのが猪股城趾、グレーの電信柱と重なっているのが百八燈、その右手の低い山が虎ケ岡城趾(円良田城)です。
その右手の大きな山は陣見山ですね。
このように二つの山城が見渡せる場所にあるのですから、鉢形城の支城として、他の城からの狼煙などを伝える役目もあったのですよね、きっと。
あぁ、こうやって見ていると、また行きたくなりました。
実は昨日猪股城趾から帰って来てから、午後は左肩の痛みに耐えながら、ヤマップやブログを書くために復習していたのですが、いっぱい見忘れたものがあることが分かってきたのです。
うん、やっぱり見に行きたい。
こんないいお天気だもの。
、、ということになり、ターボに連絡したのでした。
彼女は今日は山には行かないつもりだったので、自宅でのんびり主婦していたようなのですが、誘いを断るような玉ではありません😁
じゃあ家事を済ませたら行くね!と快諾いただきました。
ありがとうよ。
いつも私のワガママをきいてくれて。
自宅に帰ってくると、私の所に駆け寄り、すぐに道路でゴロンとなるモモタ。
ああああ、ゴロンゴロンと大きなお腹が揺れてますよ。
それを冷めた目で見つめるひまです。
一週間前はつぼみだった白い花が咲いていました。
金魚も春になり食欲旺盛です。
みんな元気だ!
いつもありがとうございます。